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武田信玄と上杉謙信 戦国時代きっての大戦の跡地に散ると想い 

  • 武田信玄と上杉謙信が大戦を繰り広げた長野県長野市にある「川中島古戦場跡」を紹介します。ここには両雄が一騎打ちにてぶつかり合ったとされる史実と、銅像が残されており、当時の戦いの激しさや、どちらの武将も超一流の武人であったことを示すエピソードなどが残されています。歴史ファンならばぜひ見ておきたい戦国時代を代表する大戦の跡地、そこに眠る武人たちの夢の跡をごらんあれ!

    川中島古戦場 三太刀七太刀の跡が語る信玄の武勇と白頭巾の武者

    〈写真01_alt:川中島古戦場〉
    川中島古戦場の中には、一騎打ちが行われたといわれている場所には三太刀七太刀の碑と言われる碑が残されています。当時の川中島大合戦は混戦を極め多くの死者を出しながらの死合いとなって言ったそうです。そんななか本陣に構えていた武田信玄の元に、突然白頭巾をかぶった武者の乗った馬が飛び込んできたそうです。その武者は素早く信玄に三太刀お見舞いするも、信玄は手元の団扇でそれをかろうじて防いだそうです。その際、防ぎきれずに信玄は手傷を負ってしまいますが、団扇を見るとなんと七太刀もの傷が残されていたそうです。そして跡からわかったことは、その太刀を振るった主こそが上杉謙信であったという史実が残されていたそうです。そのためこの地に、三太刀七太刀の跡と呼ばれる碑が残されたそうです。どちらも一流の武人だったのですね。

    松代町川中島 甲斐の虎・武田信玄と越後の龍・上杉謙信の一騎打ち

    〈写真03_alt:一騎打ちの像〉
    川中島古戦場の中には、甲斐の虎・武田信玄公と、越後の龍・上杉謙信公の両雄が一騎打ちを行った跡地があります。ここには現在もその当時の戦いの一瞬を切り取ったかのような堂々たる二体の銅像があります。彼らは当時千曲川と犀川を挟んで大戦し、川中島大合戦として今もなお語り継がれています。当時この川中島の地は土地が肥沃で多くの作物に恵まれていました。それに目をつけた武田信玄は、この地を利用し、京の地まで攻め上ろうと考えたわけです。彼にとっては、その後の戦いを見据えた布石とする手はずだったのでしょう。しかしそれを阻むべく戦った上杉勢との争いは熾烈を極めたそうです。そんな両雄の一騎打ちは霧の中で行われたそうで、史実には諸説あるそうです。ぜひ、その戦いがどんなものであったかを実際の現場で想像してみてはいかがでしょうか。”

    川中島古戦場跡地 松代 大きく輝き赤く散る兵どもの夢の跡

    〈写真04_alt:公園内の巨木〉
    その川中島古戦場公園の敷地内には、まるで彼らの戦いを見守るかのような多くの巨木があります。そして秋のこの季節になると、それらが一気に紅葉し、かれらの銅像の周りを美しい落ち葉で彩ります。その姿はまさしく兵どもの夢の跡と形容すべき雄雄しくも、美しい景色へと姿を変えます。当時、上田勢と武田勢も多くの血を流し争っていたのかと思うと、彼らの思いの強さが偲ばれます。彼らがなにを想い、命を賭けて争ったのか、それは今も残っているものなのか。ただの銅像とただの紅葉が見せてくれる風景は、普通ではない気迫をもって彼らの死地での武勇と、命のやり取りの痕跡をわれわれにを見せてくれます。今を生きている私たちには、およそ計り知ることのできない「命を賭ける」ということの本当の重みが伝わってきます。
    どの国の歴史でも切り離せないのが「戦」です。人々は多くの争いを繰り返し、歴史の中で歩みを進めてきました。川中島大合戦もその一つですが、長い歴史の中で今に根付いている先人たちの生きた証を現地を訪れ体感してみてはいかがでしょうか。