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温泉だけではない 古くから続く門前町 伊豆修善寺の歴史をご紹介

  • 静岡県伊豆の歴史ある温泉街として多くの人に親しまれている修善寺。修善寺温泉の歴史は、空海こと弘法大師が開いたとされる修禅寺の歴史と共にあります。それからというもの、この地域は門前町であり、温泉街であるという、微妙なバランスを保ってきました。今回はそんな修善寺の門前町としての歴史を紹介します。

    伊豆修善寺の歴史と共に生き続ける 弘法大師が開いたお寺 修禅寺

    <01_izu:立派な造りの修禅寺>
    修善寺駅から東海バスで「」下車して徒歩約5分ほどの場所にある「修禅寺」。弘法大師が若かった当時、桂谷山寺(けいこくさんじ)と呼ばれたこの地を修行の場としたそうです。修禅寺の歴史は、807年に弘法大師が真言宗のお寺として開創したことから始まります。その後、約470年間は真言宗として栄えたといいます。ちなみに修禅寺は、「修善寺」という地名の由来になったお寺でもあります。
    鎌倉時代になると、鎌倉幕府の影響で、建長寺の創建に関わった和尚さんである蘭渓道隆が入山して、臨済宗のお寺に変わりました。それからは約200年間、臨済宗時代が続きました。時は流れ、戦国時代の始まりを告げる北条早雲が伊豆国を平定したとき、このお寺を非常に大事にしたといい、莫大な寺領を寄進したそうです。そして1489年、今は静岡空港の横にある石雲院から叔父の隆渓繁紹(りゅうけいはんじょう)を住職として招き、曹洞宗に改宗しました。それからというもの、現在に至るまでの500年以上は、ずっと曹洞宗のお寺として続いてきました。寺の面白いところは、その時の歴史的背景に合わせて真言宗、臨済宗、曹洞宗、と宗派を変えていき、時代と共にこの地で生き続けているところなのでしょうね。

    <02_izu:見事なバランスの鐘楼><03_izu:美しい石積み>
    お寺の造りも威厳があり見るものを圧倒させますが、修禅寺を訪れたら是非見ていただきたいのが、山門をくぐってすぐ左手に見える鐘楼です。なんでも、地元の方が「日本一美しい」と誇りにしている鐘楼です。土台となる石積みから、中心へ向かってそびえたつ柱、そして屋根の傾斜といい、絶妙なバランスが美しく、実際に目にすると、そのかっこよさに見とれてしまいます。是非一度現地を訪れてご覧ください。

    伊豆修善寺の敬意の的 時を経てなお宗派を超えて愛される弘法大師

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    真言宗、臨済宗、曹洞宗と宗派を変えて来た修禅寺ですが、この地域の人の心には、ずっと弘法大師が居続けているといいます。今でも、毎年4/20-21・8/20-21に「弘法忌」という弘法大師の霊を慰めるお祭りが開かれるのですが、曹洞宗のお寺であるのに、その時だけは真言宗に変わってしまうそうです。4月20日には、「お上り」といって、修禅寺から約4.6㎞上に位置し、弘法大師が修行したという伝説が残っている奥之院まで、弘法大師を乗せた御輿を担いでいくそうです。そこで一泊し、翌日「お下り」します。静かにお経を唱える曹洞宗が一変して、火焔太鼓を叩きながら迫力のある唱え方をする真言宗になると思うと興味深いです。

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    弘法大師が開いたとされる修禅寺は、地元の方々からは「弘法さん」という愛称で親しまれています。長い年月を経てもお祭りが地元の伝統として受け継がれていることからも、それほど弘法大師が地元の人々にとって、愛してやまない大切な存在であることが分かります。

    知られざる早雲との関係 伊豆・修禅寺の運命を変えたのは早雲か?

    修禅寺と深い関わりのある人物は弘法大師だけではありません。先ほど少しご紹介した北条早雲と深い結びつきがあります。

    司馬遼太郎の「箱根の坂」という作品でこの地が登場するのですが、中国が宋の時代、当時修禅寺は中国風のお寺だったそうです。早雲と叔父の隆渓繁紹が本堂で密談をする場面があるのですが、

    その時少し寂れていた臨済宗のお寺を、曹洞宗の素晴らしいお寺に変えてくれたのが、北条早雲だったといいます。お寺の整備から、寺領の寄進までしてくれ、大変大切にしてくれたそうです。

    <06_izu:荘厳な造りと、迫力ある字で「修禅寺」と刻まれている>

    また、弘法大師が開いたとされる独鈷の湯も非常に大事にしてくれたそうで、「乱暴狼藉を働いたものは厳罰に処す」ということも書いてくれたといいます。あまり知られていませんが、早雲は韮山(にらやま)城という場所で亡くなりましたが、火葬されたのはこの修禅寺でした。そして、その火葬された骨を箱根の早雲寺というところへ持って行ったとされています。

    早雲の最期の住まいであった韮山城で亡くなってから、わざわざ修禅寺まで来たということは、それほど早雲にとっても、修禅寺の人々にとってもお互いが大切な存在であったのでしょうね。
    温泉街として、そして門前町として栄えてきた修善寺。日本の他の地域には無い、お寺があってこその修善寺の独特の雰囲気があります。修善寺の歴史を肌で感じ、地元の方が誇りにしているものを探しに、ちょっと一足のばしてみませんか?