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古墳に国分寺跡に紫式部のお墓まで 栃木下野で国指定史跡をめぐる旅

  • 都心から電車に揺られて2時間と少しの場所にある栃木県下野(しもつけ)市には、住宅地や工場付近など、生活の中に古墳や寺の跡などの史跡が溶け込んで保存されています。今回は下野市の国指定史跡である下野国分寺跡などの歴史旅を紹介します。

     

    今も残る美しい造形!知る人ぞ知る栃木県最大の古墳「吾妻古墳」

    <写真01_alt:吾妻古墳入口>
    東武宇都宮線の壬生(みぶ)駅から、車では10分程度、徒歩だと約30分で工場に隣接する林の一角にある国指定史跡の吾妻古墳(あづまこふん)に到着します。6世紀後半、つまり古墳時代後期に創られたと言われている栃木県最大古墳で綺麗な前方後円墳の形をしています。周囲と一線を引くかのように、林の入口がぽっかりと開いているさまはとても神秘的です。
    <写真03_alt:下野国分寺跡>
    吾妻古墳は、墳丘の全長が127メートル、周溝を含めると162メートルになります。石室の石は壬生城史跡公園内に移設されているそうで、残念ながらここでは見ることができませんが、二段になっていること、墳形がくっきりと確認できる、保存状態が極めてよい古墳になります。墳丘をのぼると、古墳を、林一帯を一望することができ、神聖な空気も相まって深呼吸せずにはいられません。機械のない時代に、人力で造り上げた美しい形の古墳がこの規模で今も残っていることは感慨深く、当時の人々の苦労や権力の誇示、生活に想いを馳せずにはいられませんでした。

    所在地:栃木県壬生町藤井吾妻原 栃木市大光寺町吾妻付近

     

    天平の風を感じる国指定史跡「下野国分寺跡」と「下野国分尼寺跡」

    <写真03_alt:下野国分寺跡>
    JR小金井駅からでも、吾妻古墳からでも、車で約10分ところに下野国分寺・国分尼寺跡などの史跡が集まっている「天平の丘公園」があります。下野国分寺・下野国分尼寺は、奈良時代、天平のころに聖武天皇によって全国に建てられた寺院の一つで、国分尼寺は全国の国分尼寺の中で最初に整備された寺院になります。
    国分寺と国分尼寺、どちらも全容が明らかになっている例は全国でも珍しいのだそうです。現在は国指定史跡として整備され、説明書きの看板などが設置されています。当時建っていた搭の絵が描かれている看板もあり、読んだ上で跡地をのぞくと、その時代にタイムスリップしたように当時を体感できます。
    _alt:しもつけ風土記の丘資料館内部にある下野国分寺の搭の模型>
    国分寺跡と国分尼寺跡の近くに位置する「しもつけ風土記の丘資料館」は、国分寺跡や国分尼寺跡からの出土品、近くにある甲塚古墳から出土した埴輪などを見ることができます。しもつけ風土記の丘資料館は2015年にリニューアルした新しい施設で、解説や展示品が充実していますし、事前に予約すれば、学芸員の方が説明しながら案内してくれます。丁寧に対応していただき、ゆったりと歴史を感じる時間を持つことができました。展示物の説明のほかに、周辺の史跡の話なども伺えるかもしれません。訪れる際は是非事前に予約してみてください。歴史旅が何倍も楽しめると思います!

    所在地:栃木県下野市国分寺993

     

    民俗資料館「夜明け前」や紫式部のお墓 下野の天平の丘公園を歩く

    <写真05_alt:民俗資料館夜明け前>
    下野国分寺跡、下野国分尼寺跡、しもつけ風土記の丘資料館のほかにも、「天平の丘公園」内にはさまざまなスポットがあります。そのうちの一つ、民俗資料館「夜明け前」にも訪れてみました。民俗資料館「夜明け前」は幕末から明治時代の建物で、この時代を舞台にした島崎藤村の小説「夜明け前」から命名されたと言われています。もともとは個人が所有する建物でしたが、結婚を機に取り壊そうとしたところを当時の町長が聞きつけ、引き取り命名したそうです。そんな話を資料館裏の道を掃除をしていた近所の方から伺いました。他にも公園内をランニングしていたり散歩していたりと、地元の方々の生活にも溶け込んでいる資料館であることが伝わってきました。「夜明け前」は土日のみ内部の囲炉裏や古い農具などの展示を見学できます。展示品の中には紫式部の絵も飾られていました。

    <写真06_alt:伝紫式部の墓>
    天平の丘公園には、紫式部のお墓があると言われている場所があります。お墓は公園の奥のほうに位置しており、そこに至るまでには「」にちなんだスポットを通ります。「防人街道」は1300年前に九州へ送られた防人の万葉歌に風景が似ているからと名付けられた道です。「子宝橋」は山上憶良の万葉歌から名付けられ、渡ると子宝に恵まれると言われているそうです。どちらも万葉集の舞台そのものではありませんが、万葉集の時代の風情を感じさせるスポットです。それらの景色を楽しみつつ進むと、目的地である紫式部のお墓に到着します。
    紫式部の墓だとの言い伝えは、昔この地域が「紫」と呼ばれていたことに起因するようです。
    日本国内に何か所かあるお墓のうちのひとつ、とのことですが、公園の雰囲気だけでも一見の価値があると思います。

    所在地:栃木県下野市国分寺993
    栃木県下野は史跡の宝庫です。今回紹介できなかったものも含め、たくさんの史跡が存在しています。「蔵の街」栃木市から足を延ばしてみるもよし、下野の他の史跡を」巡ってみるもよし、な地域です。ぜひ一度訪れてみてください。