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世界遺産にも登録! 山口県萩出身の吉田松陰 松陰の人生を巡る旅

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    松下村塾で有名な吉田松陰は1830年に山口県萩で生まれました。

    家は貧しい半農半士の下級武士ではありましたが、学問には熱心でした。

    そのように幼いころから勉強熱心であった吉田松陰ゆかりの地「萩」でその人生を辿ってみましょう。

     

     

    松下村塾始まりのきっかけは萩に!世界遺産「吉田松陰幽囚の旧宅」

     

     

     

    新山口駅から防長バスに1時間ほど揺られると、東萩駅に到着します。

    東萩駅から東へ20分ほど歩くと、「松陰神社」(しょういんじんじゃ)の鳥居が見えてきます。
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    松陰神社の境内には、数多くの松陰先生に関係する建物があります。
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    世界遺産に登録された「吉田松陰幽囚の旧宅」(よしだしょういんゆうしゅうのきゅうたく)です。
    1853年、吉田松陰が23歳の時、ペリーが浦賀を訪れているところを目撃します。
    衝撃を受けた吉田松陰は、このペリーの艦隊に乗り込み、アメリカ渡航を要求します。

     

     

    しかし、拒否され、野山獄で囚われました。その後幽閉され場所がこの旧宅です。
    ここで吉田松陰は家族や近隣の子供のために講義をしました。
    これが松下村塾の始まりなのです。
    貧しい家に生まれたものの、家は大きいという印象を受けました。
    この広さがあるからこそ、講義を開くことができたのかもしれません。

     

     

    吉田松陰幽囚の旧宅 所在地:山口県萩市椿東15(松陰神社敷地内)

     

    「吉田松陰幽囚の旧宅」 所在地:山口県萩市船津の1

     

     

    吉田松陰といえば!多数の幕末志士を輩出 萩の世界遺産「松下村塾」

     

     

     

     

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    幽囚の旧宅の横にあるのが、かの有名な「松下村塾」です。

    この地で松陰は、1857年から約1年間下級武士や庶民の子供たちに勉学を教えていました。

    高杉晋作や伊藤博文などの明治維新の際に活躍した藩士たちがこの場所で勉強していたのです。
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    講義室の奥には教壇と思われる机があり、松陰の肖像画が飾れています。

    生徒たちと同じ目線で教壇の方を見ると、自分自身も生徒になった気分になり、偉大な松陰の面影を感じることができました。

    松陰は「松下村塾記」において、「学は人たる所以を学ぶなり。」と書いています。

    つまり、「学問とは、人としてどうあるべきかを学ぶことである」という意味です。

    人について教える松下村塾だからこそ、偉大な藩士を多く輩出したのかもしれません。
    松下村塾 所在地:山口県萩市椿東15(松陰神社敷地内)

     

     

    「松下村塾」 所在地:山口県萩市椿東15

    萩出身の吉田松陰を祀る「松陰神社」と人気のおみくじ「傘みくじ」

     

     

     

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    さらに奥に進むと見えてくるのが松陰神社の本社です。
    松陰神社は、1859年に吉田松陰が亡くなり、その31年後に松下村塾を改修する際に、松陰の御霊を祀るための祠を建てたことが始まりです。

    後の1907年にはその祠から松陰神社がかつての生徒であった伊藤博文らの働きによって創建されました。

    御神体として松陰が愛用していた赤間硯(あかますずり)と遺言が納められています。

     

    赤間硯とは、現在の下関市である赤間関で鎌倉時代に作られていた硯のことを指します。

     

     

    境内の最も奥にかまえる松陰神社。

    かつての生徒の力でこの神社が建てられたということを思うと、吉田松陰の偉大さを感じました。
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    松陰神社には、人気のおみくじがあります。
    それは「傘みくじ」です。

     

     

    傘が開くと運が開くをかけて、このおみくじが誕生しました。
    カラフルなおみくじが木にたくさん結ばれている様子は写真を撮りたくなるほどのかわいさでした。

     

    松陰神社境内を見て周った最後に、このおみくじを引くのはいかがでしょうか。

     

     

    「松陰神社」 所在地:山口県萩市椿東15

     

     

    萩の街を一望! 坂を上った先にあるのは吉田松陰誕生の地に眠るお墓

     

     

     

    松陰神社がある場所から10分ほど坂を上ると、吉田松陰誕生地とその横にはお墓があります。
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    ここが吉田松陰誕生の地です。
    この地にかつて家があり、1830年に松陰が生まれました。

    ここは萩市を一望できる高台にあり、綺麗な景色が広がっていました。

    松陰は子供のころ、高台までの坂を毎日上り下りしていました。

    そのため、足腰が強かったと言われています。

    少し急な坂が続きますが、幼いころの松陰先生に思いを馳せつつ歩いてみてはいかがでしょうか。
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    その横には吉田松陰の墓があります。

    1859年、松陰30歳の時、安政の大獄によって処刑されました。

    このお墓には、松陰のちょんまげが一緒に埋められています。

    墓石には「二十一回猛士」と書かれています。

    これは「21回生まれ変わって天皇を守る」という意味の言葉です。

    このお墓からは松陰のそのような強い意志を感じることができました。

     

     

     

    吉田松陰のお墓 所在地:山口県萩市大字椿東

     

     

     

     

    吉田松陰が生まれ、そして亡くなるまでの人生はいかがでしたか。

    明治維新を成し遂げた中心人物を多く輩出した松下村塾や松陰を祀る松陰神社などが現代に残っていることを思うと、松陰の人望がどれだけ厚かったかが推測できます。

    山口を訪れた際には、是非吉田松陰ゆかりの地を巡ってみてください。

     

     

    「吉田松陰誕生地」 墓所 所在地:山口県萩市椿東 椿東1433-1