HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

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瀬戸内海に浮かぶ広島県竹原大久野島 地図から消えていた歴史とは

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    広島県・竹原市忠海の沖合から約3㎞先に浮かぶ、地図から消されていた禁断の毒ガス島、大久野島。
    海外からの旅人も多くラビットアイランドとも呼ばれ、年々訪れる人が増えています。
    島に流れるゆったりとした時間とは対照的に、忘れてはならない悲しい歴史を学びに出航しましょう!

     

     

     

     

    竹原大久野島 毒ガス作りに参加した人々の悲劇と現在に残る遺跡

     

     

     

    大久野島は、1902年に軍都広島と軍港呉を守るための砲台が16門設置され要塞としての機能をはたしていました。
    1929年からは毒ガスの製造に移っていきます。毒ガスの製造は国防上外部に漏れてはいけないため、当時の地図からこの島は消されました。
    また製造者も10代後半の進学が出来ない貧しい家庭の子供が「科学の勉強をしながらお金をもらえる施設がある」などと誘われ、自身が毒ガスを作っているということを知らないまま勤めていたそうです。
    生産された毒ガスは、イぺリットガス(マスタードガス)、ルイサイトガス(有機砒素化合物)、クシャミガス、催涙ガスの4種類。
    勤める際は「この島でみたり聞いたりしたことは例え親や親族であっても話してはいけない」ということを約束されていました。
    そのため、地図からも消され、存在しない島として扱われていました。

    ここで作られた毒ガスは北九州に運ばれ、そこで砲弾や爆弾などに装填されて戦場へと送り込まれていたといいます。
    2発目の長崎に落とされた原爆は、もともと小倉が標的だったというのは米軍がこの毒ガス工場の存在を重視したからという説もあるそうです。

     

     

     

    <写真01_港付近>

     

     

     

    JR忠海駅から徒歩約4分で「忠海港」(ただのうみこう)に到着します。
    港前の券売所で、フェリーのチケットを購入します。往復で大人620円です。

     

     

     

    <写真02_チケット>

     

     

    訪れた日は、平日にも関わらず沢山の旅人がフェリーへの列を成しており、秘密の島の人気ぶりが伺えました。

     

     

    <写真03_フェリー>

     

     

    約300人乗船可能な、おおみしまフェリーが約1時間に1本ほどの間隔で運行しています。

    潮風に吹かれること約15分で、秘密の島と呼ばれる「大久野島」(おおくのしま)に到着です。

     

     

    04_takehara-1

     

     

     

    大久野島に到着するとさっそく、たくさんの可愛いウサギが迎えてくれました。
    そして港から、フェリーの到着に合わせて運行されている無料シャトルバスに乗り、約7分。
    大久野島の複合施設「休暇村」にて、有料のレンタサイクルを借りることにしました。

     

     

     

    05_takehara-1

     

     

     

    島の景色を楽しみながら自転車を走らせていると、遺跡らしきものが目に留まりました。

     

     

    06_takehara-1

     

     

    ウサギが住む今の島の様子からは大久野島が毒ガスを生産する島として機能をはたしていたことは想像もできません。

     

     

     

    <写真07_takehara毒ガス貯蔵庫アップ>

     

     

     

    この中で昔、皮膚がただれてしまう猛毒の毒ガス、イペリットが大きなタンクに入れられ、写真の台座の上で貯蔵されていました。
    戦争兵器に使用するために、この島で毒ガスが作られていたことは、まだあまり知られていない事実です。

     

     

    忠海港 所在地 : 広島県竹原市忠海中町1丁目2-1

    公式HP : 大三島フェリー株式会社

     

     

     

    世界を滅亡させる量の毒ガスの行方とは大久野島 長浦毒ガス貯蔵庫

     

     

     

    <写真08_takehara長浦毒ガス貯蔵庫遠景>

     

     

     

    先ほどの貯蔵庫から、少し進むと島の北西部に位置する島内で一番大きい貯蔵庫である長浦毒ガス貯蔵庫が見えてきます。
    旧陸軍は、1929年から終戦まで、この島で密かに毒ガスの製造を行っていました。
    当時この建物の前には、高さ3~4mの小山が築かれており、さらにコンクリートを迷彩色にすることで、海上から見えないようにしていたそうです。

     

     

    <写真09_takehara長浦毒ガス貯蔵庫アップ>

     

     

     

     

    15年間の製造期間で6616トンもの毒ガスを生産し、第二次世界大戦の終戦と同時に進駐してきたアメリカ軍は、翌年1946年から約1年かけて薬品による消毒や火災放射器で焼却、そして四国土佐沖120㎞の太平洋の底に捨てたりなどで処分しました。
    近づいてみると、焼却された後がコンクリート内部に黒く焦げて残っています。

    今は 貯蔵タンクのコンクリートの基礎が残るのみで、毒性を取り除くために火炎放射器で焼き払って黒くただれた壁面が残り、当時の凄惨さを物語っています。
    何とも物々しい雰囲気で、戦争の恐ろしさを物語っていました。

    また島の一部には不適切な処理で毒ガスに汚染された場所もあるということです。
    残留化学物質があるかもしれませんので、各地にある「立入禁止」の立て札も残っています。
    立て札を見逃さないように気を付けて散策してください。

     

     

     

     

    ディーゼル発電機が8基 毒ガス作りを支えた竹原の産業遺産発電場跡

     

     

     

    <写真10_takehara発電場跡>

     

     

     

     

    長浦毒ガス貯蔵庫からさらに自転車で約10分程走った場所には島の東側に位置する、大久野島の軍事施設の中でもっとも有名な建物、毒ガス生産時に電力を供給していた発電場跡があります。
    当時重油を燃料とするディーゼル発電機がなんと8基も設置されていました。
    割れたガラス窓や真っ黒になった壁が禍々しく、異様な迫力で迫ってきます。

     

     

     

     

    <写真11_takehara発電場跡2>

     

     

     

     

     

    島に住むウサギの可愛さとは裏腹に、どの遺構からも戦争の恐ろしさを感じました。
    平和な世界でありつづけてほしいと願わずにはいられません。

     

     

     

     

    所在地 : 広島県竹原市忠海町大久野島

     

     

     

    禁断の島大久野島の知られざる歴史を、どのように感じられたでしょうか。
    可愛いウサギが住み着く島に残されている戦争の歴史からは、悲しい過去を感じることができます。
    まだあまり知られていない戦争の歴史を体感しに、大久野島へ渡ってみてはいかがでしょうか。

     

     

     

     

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