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三重県伊賀で俳諧師として活躍した松尾芭蕉の半生をたどる文学の旅

  • 三重県伊賀市で生まれ、奥の細道の著者である松尾芭蕉。みなさん一度は耳にしたことあるのではないでしょうか?三重県伊賀市には松尾芭蕉のゆかりの地がたくさん残ります。伊賀上野で松尾芭蕉をめぐる旅をご紹介します!

     

    松尾芭蕉の生い立ち

     

    〈01_iga:俳聖殿1〉

     

    松尾芭蕉は、日本でも有名な俳諧師。彼は、伊賀国(現在の三重県伊賀上野)に生まれました。12歳の時に父親が亡くなってしまい、18歳で藤堂藩の藤堂新七郎家の良忠に料理人として仕えるようになります。藤堂高虎を藩祖とする藤堂藩には文芸を重んじる習慣があり、芭蕉も良忠から俳諧の手ほどきを受けて俳諧を詠み始めました。20歳の時に『佐夜中山集』に2句が入集すると、22歳で、師と仰いでいた良忠が没し、悲しみと追慕の念からますます俳諧の世界へのめり込んでいくことになります。

     

     

    1672年の28歳の時に、初の撰集「貝おほひ」を文芸・学問の神である伊賀天満宮に奉納します。伊賀俳壇の地位を築いた芭蕉は、仕官を退き江戸へ出て、さらに俳人として修業を積み、1678年の35歳の時に正式に職業として俳諧師となりました。
    その後、日本中を旅しながら俳諧を詠んだ「奥の細道」などの代表作を残します。俳諧師となってからは、主に江戸で活躍をしていた芭蕉ですが、実は伊賀にも多くのゆかりの地を残します!

     

    松尾芭蕉の関連スポットをめぐる旅に出かけましょう!

     

    松尾芭蕉が旅姿のモチーフ!国指定重要文化財の伊賀の俳聖殿

     
    〈02_iga:俳聖殿②〉

     

    伊賀電鉄伊賀線の上野市駅から徒歩約20分、伊賀上野城のある上野公園にある俳聖殿(はいせいでん)に到着しました。俳聖殿は松尾芭蕉の旅姿をモチーフに生誕300年を記念して建てられた木造建築物です。

    1942年に建てられ、現在は国指定重要文化財に指定されています。

     

    お気づきですか?そうなんです。実はこの俳聖殿、松尾芭蕉を模してつくられているのです。
    俳聖殿の屋根は、芭蕉の笠でその下の屋根は顔をモチーフにし、さらに下の屋根は、蓑と衣を着た姿で、堂は脚部で廻廊の柱は杖と脚を表現しています。

     

    さらには、建物の中には芭蕉の等身大伊賀焼の座像があり、なんと伊賀焼で造られています。毎年10月12日の命日に、『芭蕉祭』でのみ公開されるとのことです。

     

    芭蕉をモチーフにした俳聖殿。春には桜、秋には、紅葉と一緒に芭蕉を感じる事の出来る素敵なスポットです。
    俳聖殿で芭蕉の旅した姿に想いを馳せてから伊賀の旅を始めませんか?

     

     

    伊賀の芭蕉翁記念館で多羅葉に旅の俳句を書いて松尾芭蕉を感じよう

    〈05_iga:芭蕉記念館①〉

     

    続いて俳聖殿から徒歩約3分のところにある芭蕉翁記念館を訪れました。

     
    1959年に俳聖芭蕉翁を顕彰する事業のひとつとして、上野公園の一角に建てられました。館内に入るとすぐに芭蕉翁像があり、大きな芭蕉翁紀行足跡図が入って左側にあります。また、展示場に入ると芭蕉の直筆の作品や遺言状など、芭蕉を感じることが出来る非常に貴重な資料がたくさん飾られています。

     

    <06_iga:芭蕉記念館②〉

     

    文字を書いて情報をやり取りしたと言われている「葉書」。その語源とも言われている多羅葉(たらよう)があります。

     

    ここでは、多羅葉に一句書くことができる体験スペースがあります。伊賀の旅についての一句を私も書いてみました。紙に書くことが普通になっているので、葉っぱに書くことが非常に新鮮でした。また多羅葉は、しっかりした葉っぱなので文字を書きやすかったです。

     

    この多羅葉は、上野公園内に植わっているので、是非見つけてみましょう。芭蕉の残した作品を通して、芭蕉の人生と体感できる芭蕉翁記念館へ是非足を運んでみてください。
    〈07_芭蕉記念館内多羅葉〉

    所在地:518-0873 三重県伊賀市上野丸之内117−13

    公式HP:芭蕉翁記念館

     

    芭蕉が29歳まで過ごした芭蕉翁生家を見学

    〈03_iga:松尾芭蕉翁生家①〉

     

     

    続いて、1645年に松尾芭蕉が産声をあげ、29歳まで過ごした芭蕉翁生家を訪れました。生家の中は、当時の生活を再現しており、芭蕉翁の暮らしを覗き見ることができます。奥庭の離れは芭蕉が初めて書いた撰集「貝のおほひ」を執筆した場所と言われています。

    なんと奥庭の離れには、「きてもみよ 甚べが羽織 花ごろも」で有名な処女句集「貝おほひ」を執筆した釣月軒(ちょうげつけん)が。

    帰郷の際にはここで過ごしたといわれています。

     

     

    芭蕉翁生家の敷地内には、芭蕉の胸中を表わす「古里や臍のをに泣くとしのくれ」の句碑があります。亡き父母や郷土上野への慈愛の情が込み上げてきている様子が書かれています。芭蕉翁生家では、当時の生活様式を感じることができるかまどや鍋、食器がありタイムスリップした気分になりました。ぜひ芭蕉を味わいに足を運んでみませんか。

     

     

    所在地:518-0871 三重県伊賀市上野赤坂町304

    公式HP:芭蕉翁生家

     
    江戸時代に活躍した奥の細道で有名な松尾芭蕉の誕生の地、三重県伊賀市はいかがでしたか。松尾芭蕉の人生を知れば知るほど、素晴らしい日本史上最高の俳諧師であることがわかります。芭蕉に想いを馳せる歴史旅に伊賀へ訪れてみませんか。

     

     

     

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