HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

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鎌倉幕府立ち上げにも貢献した相模国三浦氏の繁栄を辿る油壺の旅

  • 鎌倉時代に活躍した三浦氏をご存知でしょうか?三浦氏は鎌倉時代創設から源氏の権力確立まで源氏の近くで尽力した歴史上重要な一族です。そんな三浦氏の本拠地だった神奈川県三浦半島「油壺」の歴史をご紹介します。

     

    繁栄から陥落まで 鎌倉時代の三浦氏を最期まで見届けた「新井城址」

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    三浦氏ゆかりの場所は多くありますが、まずは油壺にある「新井城址」をご紹介します。京急バスの油壺バス停から細く緑に囲まれた道を約10分弱歩くと新井城址にたどり着きます。新井城は三浦氏が1247年の宝治合戦にて三浦半島南部を占領した時の居住地でした。しかし1516年に北条氏と上杉氏の戦いにのまれ、新井城は陥落し三浦氏は滅亡してしまいました。
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    現在、実際に城址の中に入ることはできませんが、新井城址はもともと自然を利用した要害の地なので、現在でも木々に囲まれた自然の中で、当時の雰囲気を充分に感じることができます。

    三浦氏の繁栄を守り続けた 三方を海で囲まれ傾斜が多い油壺の地形

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    続いて新井城址を中心とした油壺の地形や地名に注目して見てみましょう。京急バス油壺バス停から油壺湾へ向かう道は舗装されてはいるもののとても急な傾斜の坂道になっています。ここは歩きやすい靴をおすすめします。この地形は三浦氏が新井城址に居住していた時代から変わっていないようです。
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    新井城址は敵軍の襲来から逃れるには絶好の土地でした。油壺湾、小網代湾、相模湾と三方を海に囲われており、どの海岸沿いも断崖のようになっていて海から攻めることはかなり難しかったようです。防衛力を高めるために陸地へ橋を使わないと渡れないようになっており、敵軍が攻めてくるとこの橋を壊して足止めを狙いました。この橋は引橋と呼ばれ、今でも三浦市の地名に残っています。鎌倉時代に思いを馳せながら当時の武家にとって、最高の立地条件ともいえる新井城址の周辺を散歩してみてはいかがでしょうか。

    「赤い夕日がいま落つるとこ」静かな三浦の油壺湾のほとりでゆったり

    :油壺湾に浮かぶヨット
    京急バス油壺バス停の横に傾斜が急な細い道があります。ここを下ると油壺公園、そして神奈川の景勝50選に選ばれた「油壺湾」に浮かぶたくさんのヨットが見えてきます。油壺湾はヨットハーバーとしても有名で、ヨットをはじめとした船を用いた大会やイベントが年に何度か開催されています。
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    「油壺湾」として名付けられた由来はご存知ですか。諸説ありますが、ひとつの説としては三浦氏滅亡の史実と関係があると言われています。新井城が攻められた当時の三浦氏、三浦義同・義意父子が自刃したことで三浦氏滅亡が決定的になりました。それを受けて新井城に残っていた人たちがこの湾に身を投げ捨てて湾が血まみれになった、と語り継がれています。このことから「油壺」と名付けられたと言われています。
    現在の油壺湾はそのような過去があると思えない程静かでゆったりとした時が流れています。油壺湾の静寂は俳人の萩原井泉水や詩人の北原白秋らも魅了し、後の作品に記されています。
    神奈川県の三浦半島というとマリンスポーツの地と言われていますが、歴史の観点でご紹介した油壺はいかがでしたか。
    三浦氏が油壺で築き上げた新井城の歴史の跡と今も残る地形を、是非現地を訪れて体感してみてください。