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高山城主金森長近の元下屋敷 日本最後の代官所 国史跡高山陣屋

  • 急峻な山地に囲まれた岐阜県・飛騨高山。高山には、江戸幕府の直轄地(天領)飛騨地方の行政を取り仕切っていた郡代役所「高山陣屋」が日本で唯一残っています。
    江戸時代に建てられた陣屋の細部までの工夫や土地の特徴が色濃く反映された文化が遺る日本最後の現存陣屋で、歴史のロマンに浸る旅へとご案内します。

     

     

     

    高山城主金森家の下屋敷から幕府の直轄領の高山陣屋へ 特徴に迫る

     

     
    陣屋とは、江戸時代に郡代・代官が治政を行った場所。御役所や郡代(代官)役宅、御蔵などを総称して陣屋と呼びます。
    幕末には全国に60数ヵ所あったと言われている郡代・代官所の中で、当時の主要建物が残っているのはこの高山陣屋だけになります。

     

     

    <写真01_takayama_高山陣屋の説明>

     

     
    高山陣屋は、高山城主金森家の下屋敷(向屋敷)としてもともと使われていました。
    しかし幕府の直轄領となってからは陣屋として代官や郡代がここで飛騨の政治が行われました。

    その後1868年に至るまで176年間、江戸幕府は25代の代官、郡代を派遣して飛騨の国を支配します。
    明治に入ってからは、県庁、郡役所、支庁、県事務所など代々、地方の役所として使われてきました。
    内部には、御役所、御用場、、役宅、吟味所、白州などが残されています。
    また裏手には、高山城三の丸から移した御蔵(米藏)8戸前(藏は戸前とかぞえる)も昔のまま残されています。
    そこはかつて年貢米を保管した藏で天領時代の歴史を物語る資料が展示されています。
    それでは早速日本唯一残る高山陣屋を見学してみましょう。

     

     

    <写真02_takayama_高山陣屋の門>

     

     
    クレ葺屋根の門の扉に残るしみは梅村騒動で農民に殺された門番の血痕といわれています。
    当時の様子を思い描くには充分すぎるほどの史跡でした。

     

    <写真03_takayama_高山陣屋の正面壁青海波模様>

     

     

     

    <写真04_takayama_青海波模様アップ>

     

     
    玄関を入った正面壁には、郡代の格式を示す青海波(せいがいは)模様があります。海の波を模した縁起物の模様です。
    古くは平安時代の雅楽の衣装にもあしらわれた模様だそうで、幕府直轄の高山陣屋ではふすまや壁などにこの模様が刻まれています。
    海の波のように終わり無く無限に続く徳川の世を表したとされています。

     

     

     

    真向き兎に畳の模様の工夫 高山市高山陣屋の小さな工夫を見つける旅

     

     

     
    畳の縁の模様違いがあります。同じ部屋であっても、手前と奥で畳の種類が違うことがわかります。

     

     

    <写真05_takayama_畳の模様>

     

     

    <写真06_takayama_畳の模様アップ>

     

     

     
    江戸時代は身分制度が大変厳しくお部屋の造りはもちろん、畳の縁に至るまで身分ごとに仕様が決められていました。
    一番偉い代官の利用する場所の畳には縁に柄が入っていますが、部下たち役人の利用する場所の畳は地味な縁に、もっと下の者が使う場所は縁なしの畳が使用されたとされます。

    また、見学をしていると、至る所にあるこのうさぎ模様の金具。

     

     

    <写真07_takayama_うさぎの金具>

     
    これはこれは釘隠しといって、建築装飾金具の一つです。格式のある城門、、武家屋敷などで、柱と長押(なげし)が交差する部分を打ちとめる大きい釘の頭を隠すための装飾品。
    その『釘隠し』も鎌倉時代~江戸時代(初期)には家紋が多く使用されていましたが、その後は地方の文化などにより象形が異なった様々なモノも使用されています。
    高山陣屋では「真向き兎」が使用されています。
    うさぎは子供をたくさん産むので縁起物として、また、火事から守ってくれる魔除けの力があると言われていたため。
    さらに、大きな耳は民衆の声をよく聞き、良政を行う志を表したものとされ、治世の象徴とされました。
    150もの真向き兎が高山陣屋には隠されています。
    私は見つけた瞬間に、職人の細かさを感じました。ぜひ探してみてください。

     

     

    高山で楽しむ高山陣屋前朝市 地域の魅力が詰まる名産品を楽しむ

     

     
    高山陣屋は江戸時代の裁判所でもありました。
    罪人を裁くお白州(おしらす)があります。
    お白洲とは、庭に白い砂利が敷かれていたことから、江戸時代に奉行所の裁きを受ける庶民が控えた場所だそうです。
    高山陣屋のお白州はよく見かける時代劇のお白州とは変わっています。
    時代劇などに登場するお白州は、その名の通り白い砂を敷いていますが、高山陣屋のお白州は白くありません。

     

     

    <写真08_takayama_お白洲>

     
    飛騨の国には海がなく、お白州に敷くための白い砂が十分に手に入らず、そのため河原のぐり石を敷いて代用したのだそうです。

    また、高山陣屋のお白州には屋根があります。
    山深く、雪国のため、建物の中にお白州が作られました。

     

     

    <写真09_takayama_罪人を運ぶ籠>

     

     
    さらに島流しの刑などが出ると海がないため、まず籠で罪人を江戸まで輸送するところから始められたそうです。
    そういった文化の片鱗が高山陣屋には細かく残されています。

    また、高山陣屋の前には、高山陣屋前朝市が毎朝開かれます。

     

     

    <写真10_takayama_朝市看板>

     
    江戸時代から、米市、桑市、花市などの市として発達し、明治の中頃から、農家の奥さんたちによって野菜がならべられるようになりました。

     

     

    <写真11_takayama_朝市の様子>

     
    もんぺ姿のおばさんたちの素朴なやりとり、純粋な飛騨高山ことばを聞くことができます。
    所在地 : 高山市八軒町1-5

     

     

     
    日本最後の現存する陣屋をめぐる旅はいかがでしたか。
    高山城主金森長近の下屋敷であり、幕府の郡代役所であった高山陣屋。
    この土地ならではの発展してきた文化がいまも残り、紡がれている岐阜県高山市へぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

     

     

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