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【伊豆石とは】江戸城の石垣にも用いられた伊豆石の魅力

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    NHKの年末ドラマで放送される予定の『家康、江戸を建てる』(著:門井慶喜)。作品の中では、家康が江戸の地に移ってきてからの江戸のまちづくりの奮闘をみることができます。
    この記事では、江戸城の石垣のほとんどに使用されている伊豆石について追っていきます!

     

     

     

    江戸城とは

     

     

    <01_江戸城の絵図>

     

     

     

     

    江戸城は、東京都千代田区(現在の皇居がある場所)にあり、15世紀半ばに築城されました。徳川家康が1から築城したと思われがちですが、もともとは、その土地をおさめていた扇谷上杉氏の家臣だった太田道灌(おおたどうかん)が築城したお城でした。

     

     

     


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    家康が入城した際には、本丸の他に二の丸と三の丸があり、堀も巡らせてあって一応城の形は整えてあったといわれています。

     

     

     
    豊臣秀吉が関東に踏み込み、北条氏を滅ぼしたことにより、このお城を徳川家康が本拠地とし、江戸幕府の中心として改修され現在の形があります。

     

     

     

    家康が入った当初の江戸は「荒れ地」という言葉がふさわしく、家康と家臣たちは愕然、、、!
    しかしさすがは粘り強さの代名詞、徳川家康。江戸城と城下町を次々に整備していきます。

     

     

     

    築城の際に大活躍したのが、大規模な土木工事を命じる「手伝普請(てつだいふしん)」という制度。
    大名に財産と人力を駆使させ、江戸城の整備をすすめさせました。

     

     

     

    徳川幕府が滅んでからは、江戸城は、皇居となっていますが、当時の石垣や繁栄の跡が各所で見ることができます。

     

     

     

    江戸城の石垣に選ばれた伊豆石の魅力とは

     

     

    03_edo

     

     

     

    江戸城の石垣はそのほとんどが伊豆石となっています。
    なぜ本州ではなく、わざわざ遠い島の石を石垣に使用したのでしょうか。

     

     

     

    それは伊豆石の質の良さにありました。この時期、豊臣家との最終決着である大阪夏の陣を控えた家康は、負けるかもしれないという不安と付き合いながら過ごしていました。
    どうしても強靭な城を築城したかったのです。

     

     

     

    そんな想いを叶えた石が伊豆石だったのです。
    伊豆半島で産出される石は質が良く、古くからその名声が知られていました。

     

     

     
    伊豆半島では硬質の安山岩と、軟質の凝灰岩の2種類が掘り出されており、築城にもってこいの硬質の安山岩が主に切り出されました。
    さらに伊豆石は、風化しにくく、耐火性に優れていたため、選ばれたのです。

     

     

     

    さらに陸路よりも、海運において江戸に石を運びやすく、伊豆という場所が選ばれたのです。

    実際に、東御苑へ足を一歩踏みいれると、石垣の大きさと美しさに驚きを隠せません。

     

     

    <05_江戸城の大きな石垣>

     

     

     

     

    伊豆半島から舟を使い、ひとつひとつ大きな石を積んで運ばれてきたのですね。

     

     

    江戸城に見る石垣の工法

     

    <06_江戸城>

     

     

     

    実際に皇居(江戸城)に残る石垣を見学してみましょう!
    江戸城は、本丸・二之丸・三之丸が東御苑としてほぼ現存しています。さらに西ノ丸・吹上が皇居、北の丸・西ノ丸下が公園となり散策することができます。
    メトロ「大手町」駅で下車し、C13a出口から出て、見えるのは大手門。本丸・二之丸・三之丸跡が公開されている「皇居東御苑」の歴史旅のはじまりです!

     

     

     

    <07_大手門駅の写真>

     

     

     

    立派な大手門は、1606年、築城の名手・藤堂高虎の設計です。左右の石垣は伊達政宗が築造したものだとか!

     

     

     

    <08_大手門の写真>

     

     

     

    徳川家康が関東に入る前は、ここは入り江で、船着場がありました。
    ここから石垣を運んでいたんですね。

     

     

     

    大手門をくぐってまず向かったのは、大手中之門!
    江戸城の中でも最大級の巨石が使用されています。

     

     

     

    <09_大手中之門の石垣の写真>
    美しく切り揃えられた巨石が整然と積上げられた石垣が目に入ります。これは、「切込み接ぎ(きりこみはぎ)」といって、四角く整形した石材を密着させ、積み上げます。まさに完全密着!この切り込み接ぎは、江戸時代初期の元和年間以降に使われるようになりました。

     

     

    <10_切込み接ぎ(きりこみはぎ)>
    さて続いては天守閣跡。1657年に起こった明暦の大火で天守閣は焼け落ちているので、石垣のみが残ります。天守台は、加賀藩前田家により築かれています。

     

     

     

    伊豆に残る歴史、伊豆から江戸城に「運ばれるはずだった築城石」を見つける

     

     

     

     

     

     

    1604年、徳川家康は江戸城の拡張工事を行うため、天下普請によって、西国の外様大名に築城用の石材採取を命じました。
    大名たちに与えられたその課題は、石高10万につき「百人で運搬できる大石」を1120石だったのだとか!

     

     

     

     

     

    1606年から30年以上に渡り、月に2回ほど石船3000艘が江戸と伊豆東海岸を往復していたと伝えられています。

     

     

     

    東伊豆の稲取にはそんな歴史の跡がたくさん残ります。今回は稲取の運ばれることがなかった石たちを求めて歴史旅をしてみましょう!
    稲取駅を下車するとすぐに表れる石の展示スペース。

     

     

    <11_東伊豆稲取駅>

     
    ここには、「残念石」といって、江戸城に運ばれなかった石が展示されています。

     
    石にたくさん木が刺さったものを発見!
    なんとこれは石を割る技術のひとつで「矢割り」といいます。

     

     

     

    ①石の側面に小さなくぼみ(「矢穴(やあな)」)を横一列に掘ります。
    ②カシの木で作ったクサビを打ち込みます。
    ③クサビに水をかけておきます。
    ④なんと翌朝クサビが膨張して石が割れる!

     

     

    といった仕組みです。そういえば石垣によくこの矢穴の跡を見ますね!

     

     

    05_edo

     

     

    伊豆をもう少し散策してみましょう!南伊豆へ。

    「カノー伝説」という不思議な名を持つ里山。この里山の一角にある加納の石切り場。ここでも当時石が採られていた歴史が残ります。

     

     

     


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    ちなみにこのカノー伝説、事前予約をしてツアーに参加しなければ見れない景色です!

    親切で明るいガイドの方の説明はとても素敵なんだとか。

     

     

     

    ぜひ歴史の片鱗を見に訪れてみてください。

     

     

     

     

    江戸城と東伊豆の石について追ってきました。伊豆石に関する知識は深まりましたか?
    伊豆石の利用は、江戸城築城には合理的で、強固なものにする手段だったのですね。
    そんな知識を携えてぜひ一度、江戸城をめぐってみてはいかがでしょうか。

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