奈良井千軒と称された奈良井宿!いつからそこに宿場町ができたのか?
旧中山道の中程に位置する奈良井宿。鳥居峠上り口にある鎮神社を京都側の端に、奈良井川沿いを緩やかに下りつつ約1kmにわたって続く日本最長の宿場です。
かつて「奈良井千軒」と謳われ多くの旅人で栄え木曽路一番の繁栄を誇りました。
なぜこのような山深い場所に宿場町ができることになったのか謎に迫ります!
この記事の目次
奈良井宿とは?江戸から明治にかけて発展した宿場町の歴史をご紹介
東海道、甲州街道、日光街道、奥州街道、中山道。
中山道は江戸時代の五街道のうちの一つ、江戸と京都をつなぐ幹線道路でした。
花のお江戸日本橋から京の都に至るまで、宿場の数は69箇所。そのうち、長野県内には25箇所もの宿場が設けられました。
ちなみに奈良井宿は江戸時代から明治時代にかけて栄えました。
江戸時代には京都と江戸を結んだ中山道34番目の宿場であり、木曽路にある11宿の中では、北(江戸)から2つ目、峠越えが難しいとされる鳥居峠の北に位置していました。11宿の中では1,197mと最も標高が高く、中山道沿いに南北約1km、東西約200mに広がっています。
次の薮原宿までを結ぶ峠越えの道は、現在は信濃路自然歩道中山道ルートとして石畳の道も復元され、今でも昔ながらの中山道を堪能することができます。
標高1000m以上の土地にいつ町ができたのか?謎を紐解く歴史旅
奈良井宿の南、藪原宿を結ぶ標高1197mの鳥居峠が開かれたのは1431年と伝えられています。また1568年の相州文書や1580年の前田家文書に奈良井宿は楢井と記され、この頃には宿として成立していたとされています。
また、「天文元年(1532)、木曽義在奈良井に専念寺を建つ。同2年、義在木曽に宿駅を定む」などといった記述も存在します。
ちなみに、かつて美濃国と信濃国の境だったこともあるこの峠は、松本の小笠原氏との戦いで木曾義元がこの頂上に鳥居を立て、御嶽権現に戦勝を祈願したことから、「鳥居峠」と呼ばれるようになりました。
奈良井と言う地名がいつ頃付いたのかは不明だそうですが戦国時代には奈良井義高(ならいよしたか)と言う人物が奈良井を治めていたようです。
奈良井宿から簡単なアクセス!木曽路宿場町それぞれの特徴をご紹介
江戸時代、日本橋から京の都に至るまで、宿場の数は69。そのうち、長野県内には25の宿場が設けられました。
奈良井宿からアクセスにが簡単な周辺の宿場町をご紹介します!
妻籠宿
全国で初めて古い町並みを保存した宿場町。
枡形の町並みの中は古い建物が残され、良いボリューム感の町並みを楽しむことができるのでおすすめです!
三留野宿
明治時代の大火によって街並みが消失してしまいましたが、かつて妻籠宿と並び栄えた宿場町。
野尻宿
野尻宿は外敵を防ぐ『七曲がり』という曲がりくねった特徴があります。木曽十一宿の中でも奈良井宿に次ぐ長い街並みです。
贄川宿
中山道33番目の宿場町で、文献など16世紀頃より宿場として利用されていました。贄川宿は昭和5年の大火で古い町並みの大部分が焼失してしまいましたが、上町の一部は当時の面影が残っているそうです。
木曽考古館などの施設も充実しており、歴史旅にはぴったり!
宮ノ越宿
奈良井宿からは少し離れてはしまいますが、木曽義仲ゆかりの地でもあり、義仲の菩提寺「徳音寺」をはじめとした、歴史探訪の見どころが豊富でおすすめスポット!
奈良井宿や木曽路がどうやってできたのか、謎を解く旅をご紹介してきましたが、いかがでしたか。奈良井宿は独特の建築と自然と共存してきたとわかる町並みの雰囲気を持っています。
人々が宿場町として繁栄さえ、残していった町並みにぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。