偉人たちに愛された極上の奥座敷
神戸市にありながら山深く、六甲山地北側の紅葉谷の麓の山峡のある温泉町。
1300年以上も前から“京阪神の奥座敷”として多くの偉人が訪れています。
01まち ~有馬~
01まち ~有馬~
自然豊かな秀吉ゆかりの温泉地
「有馬温泉」として有名な、神戸市北区有馬町。六甲山の美しい山並みに抱かれ、瀬戸内海を中心とする国立公園「瀬戸内海国立公園」に隣接しています。日本最古の温泉のひとつに数えられ、豊臣秀吉がこよなく愛したことでも知られています。大阪から約1時間、神戸三宮から約30分で辿りつく利便性の良い町で、温泉はもちろん、歴史・文化、旅館などを目当てに多くの旅人でにぎわっています。
02歴史 〜有馬〜
02歴史 〜有馬〜
発展と衰退 激動の歴史に迫る
大己貴命、少名彦命の二神が三羽のカラスが入湯するのを見て、有馬温泉を発見したと言う伝説が残っています。舒明天皇や孝徳天皇が有馬の地を行幸、入湯したことで一躍有名に。その後、大洪水や大火、地震などに何度も見舞われ荒廃します。しかし、その度に様々な人の手によって有馬温泉は復活を遂げます。特に、豊臣秀吉は温泉再興のために手厚い援助を行ったことでも有名です。
03有馬街道 〜湯本坂・ねがい坂〜
03有馬街道 〜湯本坂・ねがい坂〜
湯あがりに ぶらり歴史散歩
「湯本坂」は名産品が並び、「ねがい坂」の寺田町界隈には多くの寺社が集中しています。聖徳太子によって創建された極楽寺、豊臣秀吉の北の政所、寧々の別邸跡地に建てられた念仏寺、有馬を最初に発見したと言われる大己貴命・少彦名命・熊野久須美命の三神が祭られている湯泉神社など、歴史溢れる街道です。また、念仏寺の鬼瓦が町内各所に配されているので、散策がてら探してみるのも一興です。
04史跡 〜湯泉神社・温泉寺〜
04史跡 〜湯泉神社・温泉寺〜
温泉と共に栄枯盛衰を経験した社寺
有馬を最初に発見したと言われる三神が祭られている「湯泉神社」。その歴史は古く、927年に撰上された延喜式神名帳にも載っているほか、日本書紀にも天皇の参拝が記録されています。「温泉寺」は、724年に行基上人が建立したと伝わる古刹で、有馬温泉の再興に貢献した行基上人と仁西上人の像が祀られています。周囲には歴史ある神社仏閣が集中しているので、気軽に周遊できます。
05自然 〜有馬温泉〜
05自然 〜有馬温泉〜
日本最古の温泉 異なるふたつの泉質
有馬温泉は、自然に湧き出た温泉としては日本最古と言われています。泉質は、療養泉として指定されている9つの成分のうち7つを含んでおり、世界的にも珍しい多くの成分が混合しています。冷え性、腰痛、感染性皮膚疾患などに効果があるとされる「金泉」と、高血圧症、機能性心疾患などに効果があるとされる「銀泉」があります。湯治を目的に長期滞留する偉人たちが身も心も癒されていた、まさに名湯と言えます。
06偉人 〜温泉に入浴した偉人〜
06偉人 〜温泉に入浴した偉人〜
戦国武将から文人まで癒してきた有馬の湯
古くは「日本書紀」にも登場し、 藤原定家、足利義満、伊能忠敬など、時代ごとに多くの偉人や著名人が有馬を訪れています。平安時代には、紫式部、小野小町、後白河法皇など。安土桃山時代には、千利休、前田利家、石田光成、徳川秀忠など。江戸時代には、黒田長政、井原西鶴など。明治〜昭和にかけては、福澤諭吉、竹久夢二、谷崎潤一郎など。心身ともに安らげる場所として、昔から愛されています。
07偉人 〜豊臣秀吉〜
07偉人 〜豊臣秀吉〜
有馬には欠かせない恩人・太閤秀吉
秀吉は、記録に残るだけでも9回も有馬を訪問しています。1583年、長らく続いた戦で疲れた心身を有馬の名湯で癒そうと訪れたのが最初と言われています。また、有馬温泉に対してさまざまな援助を行っていることでも有名です。特筆すべきは、慶長伏見地震により温泉の温度が急上昇し熱湯となってしまった際に、大規模な改修工事に着手したこと。有馬の繁栄に欠かせない一人として、今もその名を刻んでいます。
08湯めぐり 〜7つの源泉〜
08湯めぐり 〜7つの源泉〜
歴史を感じながら源泉めぐりを
有馬温泉には7つの源泉があり、それらすべてを歩いてまわることができます。「金の湯」の場所に湧く「太閤泉」は銀泉源の飲泉場なので、気軽に温泉を味わうことができます。「御所泉源」は塩分と鉄分が多く含まれてる金泉源で、塩分濃度が日本一の湯として有名です。ほか、極楽泉源、炭酸泉源、妬泉源、天神泉源、有明泉源があります。歴史を感じながらの源泉めぐりは、心身ともに癒されます。
09伝統工芸 〜有馬籠〜
09伝統工芸 〜有馬籠〜
桃山時代から愛用される竹細工
千利休の好みにより茶道具として作られたとされる「有馬籠」。発祥は安土桃山時代と言われています。大正時代に全盛期を迎えますが、第二次世界大戦により壊滅的な打撃を受け、現在ではわずか一軒のみ。主に花入(花器)として愛用されてきましたが、現代では花入以外の商品も造っています。職人が作る洗練された逸品は、現代でも表千家に炭籠を納めています。