戦国の世に越前平定を成した朝倉氏の軌跡
戦国時代、越前の国を約100年5代にわたって支配していた朝倉氏。彼は最も冷酷とされる戦国武将織田信長の出現により失墜します。朝倉氏が繁栄させた一乗谷城下町や越前の国をまわり当時の繁栄と織田信長によって滅ぼされた北陸の京と称されるまちなみを感じてみましょう。
資料館で朝倉氏に関して学び、実際に町並みを感じてみましょう。南に歩くこと約15分
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一乗谷朝倉氏遺跡資料館
博物館・美術館
戦国時代に越前平定を成し遂げた朝倉氏に関する資料館です。ボランティアの方に説明をしてもらえます。この資料館で学んでから一乗谷朝倉氏遺跡を実際に遺跡を訪れると一層感動します。
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一乗谷朝倉氏遺跡
遺跡・墓所・石碑・銅像
戦国時代に朝倉氏五代が5代103年間にわたって越前の国を支配した城下町跡。5代目当主の義景は浅井氏と同盟を組み織田・徳川軍と激突し1573年の刀根坂の戦いで大敗後、朝倉家繁栄はここで幕を閉じます。武家屋敷・寺院・町屋・職人屋敷や道路に至るまで町並がほぼ完全な姿で発掘され、国の特別史跡・特別名勝に指定されています。
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一乗谷朝倉氏遺跡|唐門
遺跡・墓所・石碑・銅像
戦国時代に朝倉氏五代が5代103年間にわたって越前の国を支配した城下町跡にひっそりと残る朝倉家5代目の朝倉義景館跡の入口に建つ立派な門。
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湯殿跡庭園
遺跡・墓所・石碑・銅像
朝倉館跡を見下ろす「観音山」という小山を背景に位置します。戦国気風がただよう荒々しくて勇壮な石組であることから、4つの庭園の中で最も古いものだと考えられ、朝倉孝景の時代に造られたと推定されます。
JR九頭竜線でJR越前大野駅へ越前大野城に向かって西にあるくこと約10分
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七間朝市
遺跡・墓所・石碑・銅像
大野市の碁盤の目のような通り、その七間朝市通りにたつ朝市は、400年以上の歴史を誇っています毎年春分の日~大晦日までの朝7時~11時頃、農家のおばちゃん達が丹精込めて育てた農産物を路上にところせましと並べた青空直売市。
北に向かって越前大野城沿いを歩くこと約5分
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武家屋敷旧田村家
歴史的建造物
越前大野城外堀(百間堀ひゃっけんぼり)西側の三の丸に所在する田村又左衛門家たむらまたざえもんけの主屋おもやを解体復元し一般公開されています。住宅東側に広がる庭園の築山は、越前大野城外堀の土居どいを転用したものです。
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越前大野城
遺跡・墓所・石碑・銅像
野面積みの石垣が残る越前大野城。織田信長の家臣金森長近によって1575年に築城されました。金森長近は大野郡の3分の2の領地を織田信長に与えられていました。
南に歩くこと約15分
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朝倉義景墓所
遺跡・墓所・石碑・銅像
義景公園内に位置し、あたりは桜の名所としても有名です。越前の守護大名だった義景は、織田信長との戦いに敗れ、支族の朝倉景鏡の反逆にあい、六坊賢松寺で自害しました。
JR九頭竜線で約50分でJR福井駅へ