
重伝建 武家屋敷の町で歴史を感じる旅
江戸時代、鹿児島県には、軍防方法である麓と呼ばれる武家集落が約113か所ありました。その中でも薩摩国境を防御する軍事上の要所と位置付けられてきた出水には、薩摩藩最大の麓がつくられます。出水へは入り口狭く急な登坂を登ります。長い坂を登った先に広がる景色は息を飲むほど。当時の繁栄を肌で感じてみて下さい。
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JR出水駅
交通機関
新幹線も止まる主要な駅。在来線は現在肥薩おれんじ鉄道という第3セクター鉄道に引き継がれています。 1~2両の小さなディーゼルカー、ローカル線気分で旅のできる車両です。
徒歩約20分
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八坂神社
神社仏閣
八坂神社境内には、台座まで含めると高さ4.15mのお地蔵様があり、一刀彫りでは日本一を誇ります。1925年、真言宗の僧侶斑目仏師によって建立された地蔵尊で、交通安全、無病息災、子育てや延命などの御利益があるとされています。
徒歩約3分
徒歩約5分
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重伝建出水麓武家屋敷群
歴史的建造物
江戸時代、島津氏率いる薩摩藩は独自の行政・軍防方法である麓と呼ばれる武家集落を、鹿児島城を拠点に約113箇所設置しました。麓への入り口は狭く急な登坂4箇所のみとなっています。
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出水麓武家屋敷群|税所邸
歴史的建造物
税所家は関ヶ原の戦いの前年、加世田から移住を命ぜられ出水郷の要職を務めました。立派な建物の中には、雨天時の弓の練習場所や、隠れ部屋、抜け道など当時を偲ばせるものが残されています。建物の建築は出水麓では最古といわれています。
隣にある竹添邸へ
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出水麓武家屋敷群|竹添邸
歴史的建造物
竹添家は肥後の国人吉、球磨城主相良氏の一族で、1637年米ノ津から麓へ屋敷が移り、代々組頭など出水郷の要職を務めました。建物の建築は明治初期を下らないとされています。
向かいの通りを進み徒歩約2分で出水麓歴史館へ
T字路つきあたりの御仮屋門へ
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御仮屋門
遺跡・墓所・石碑・銅像
江戸時代、藩主が地方巡狩の宿泊所、御仮屋。現在は、現出水小学校敷地。出水小学校校門が御仮屋門であり、出水は国境の要地であるため、島津義弘公が自ら出水で隠居しようとして現在の姶良市にあった門をここに移転したものだと伝えられています。
徒歩約3分
徒歩約5分
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出水城跡(亀ヶ城跡)
遺跡・墓所・石碑・銅像
出水城は出水市のほぼ中央部、米ノ津川と平良川に挟まれた台地の基部付近の丘陵地に鎌倉時代初頭には築かれ、戦国時代の終わり頃まで使用されていました。近世にはその麓に御仮屋を中心とした武家屋敷群が形成されます。
徒歩で約35分・車で約10分
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JR出水駅
交通機関
新幹線も止まる主要な駅。在来線は現在肥薩おれんじ鉄道という第3セクター鉄道に引き継がれています。 1~2両の小さなディーゼルカー、ローカル線気分で旅のできる車両です。