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平家物語で誰もが胸を打たれる「敦盛最期」の舞台「須磨寺」を旅する

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    海と山に囲まれた自然豊かな街、須磨。

    ここ須磨には、源平合戦のひとつ、「(いちのたにのたたかい)」の舞台となった場所があります。平安時代の末期1184年3月20日に摂津国福原および須磨で行われた戦いの記憶を残す須磨寺の魅力をご紹介します!

     

     

    源平合戦「一ノ谷の戦い」とは

    1183年5月の倶利伽羅峠の戦いで源義仲に敗れた平氏は兵力の大半を失い、太宰府へ落ちます。源氏同士の宇治川の戦いの最中に、平氏は立て直し、かつて平清盛が都を作ろうとした福原まで進出します。

     

    そんな中、現在の須磨の浦にて源平が激突したのが「一ノ谷の戦い」です。

     

    源義経が仕掛けたという天下に名高い「逆落し」の急襲が有名で、意表を突かれた平氏は海へと敗走。「一ノ谷の戦い」後は屋島、壇ノ浦と、平氏滅亡に向かって加速することになります。

     

     

    一ノ谷合戦が行われた時、須磨寺は源氏の大将源義経の陣地であったと伝えられています。

     

    平家物語「敦盛最期」とは

     

     

    「敦盛最期」を語るに欠かせない人物、源氏の武将で熊谷直実という男がいました。
    直実はもともと平家の武将であり源氏に寝返った人物で、元からの源氏の武将に後れをとるまいと、手柄を誰よりも欲していました。しかし、直実が一の谷の浜に着いた時、ほとんどの平氏は海に逃れた後で、既に時は遅かったそうです。

     

    その中で一人だけ波打ち際で逃げ遅れた立派な鎧を着た平家の武者を見つけました。彼が平敦盛です。

    直実は扇をかかげ「敵に後ろを見せるは卑怯なり。返せ返せ」と呼びかけます。するとその武者は振り返り、決死の覚悟で直実に一騎打ちを挑みます。しかし、あえなく倒され、直実が首を取ろうと兜を取ると、なんと直実の息子と同じ年の頃16,7歳と見える紅顔の美少年。

     

    打ち取るのは心苦しく戸惑いましたが、後ろからは自陣が迫ります。自分が供養すると約束し、首をはねたのです。

     

     

    陣地であった須磨寺に、首と笛を持ち帰った直実は、大師堂前の池でその首を洗い、その前の大きな松の木に腰をかけた義経が首実検を行いました。

     

    すると義経は、平清盛公の弟、平経盛公の子、従五位の敦盛公であると言いました。その年齢は17歳。

     

    直実が持ち帰った笛を見て、涙を見せないものはいなかったといいます。後に直実は、殺しあわねばならない戦の世に無常を感じ、直実は、法然上人の元で出家をする事となります。

     

     

    ここ須磨寺では、その平家物語の中で最も美しく、最も悲しいといわれる平敦盛・熊谷直実の一騎打ちの場面を再現した「源平の庭」を見ることができます。

     

     

    兵庫県神戸市にある須磨は、「平家物語」に語り継がれる「敦盛」の悲劇の地でもあるのですね。

     

     

     

     

     

    息吹く千年の物語、「平家物語」源平ゆかりの須磨寺で歴史を感じよう

     

     

     

    仏像の5つの教えが込められた五猿

     

    須磨を訪れて、寄りたくなるのが歴史を感じられる名所。

     

     

    多数の重宝や史跡があり、中でも「源平ゆかりの古刹(こさつ)」として知られる須磨寺を訪れてはいかがでしょうか。

     

     

     

    「須磨寺おもろいもん巡りMAP」という冊子があるほど、お寺の中には多くのユニークなものがあります。頭をなでるとかわいく動く(三猿ではなく)五猿や、須磨寺ゆかりの人物が次から次へと登場するきれいなからくり時計なども楽しめます。

     

     

    1時間に1回動くからくり時計は要チェック

     

     

     

    平家物語とともに須磨寺をご紹介してまいりました。

    いかがでしたか。壇ノ浦の戦いで有名な山口県や平家の落人伝説の残る徳島なども平家の歴史旅はできますが、須磨という意外な場所にもその遺構は残っているのですね。

     

    ぜひ一度平家の物語を追って訪れてみてはいかがでしょうか。