HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

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大田市石見銀山争奪戦のあと 中国地方の覇者毛利元就の痕跡をめぐる

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    発見から江戸時代に天領となるまで、現在の島根県大田市にある石見銀山は戦国大名たちによって幾度となく争奪戦が繰り広げられてきました。
    中でも毛利元就ゆかりの名所は数多く残っています。銀が産出される銀山町から銀が海外へ運び出された港に至るまで、
    石見銀山争奪戦と毛利氏の歴史をたどる旅をお届けします。

     

     

     

     

    石見銀山争奪戦の歴史とは 大田市銀山町を一望する山吹城跡に登る

     

     

     

    山吹城は1533年、要害山(標高414m)の頂上に大内氏によって築かれました。
    石見銀山麓の銀山町を一望する立地です。
    JR大田市駅よりバスで約30分、大森下車、山吹城登山口まで徒歩約30分です。

     

     

    〈01_odashi銀山公園広場から〉

     

     

    地元のガイドさんと撮った写真です。写真奥中央に見えている山が要害山で、頂上が平たくなっているのがわかります。
    山吹城の跡が地上から見てもはっきりわかるなんて驚きでした。それだけ大きな山城だったことがわかります。
    石見銀山を制するものは中国地方を制する。石見銀山を狙った周辺の戦国武将、小笠原氏、尼子氏、毛利氏はこの山吹城を中心に
    1531年から実に32年間ものあいだ激しい石見銀山争奪戦を続けました。
    この広場からひたすら龍源寺間歩方向に進んでいきます。

     

     

    〈02_odashiカフェ・ルージュ〉

     


    道中にあるカフェを通過します。

     

     

     

    〈03_odashi豊栄神社〉

     

     

     

    豊栄神社から、さらにてくてく歩き、少しすると登山口に到着します。

     

     

     

    〈04_odashi山吹城跡〉

     

     


    こちらは群言堂石見銀山本店の広報担当三浦さんが書かれている「三浦編集長」という機関誌の2017年7月号の表紙です。
    山吹城跡から望む銀山町の風景です。山々の間にまちが形成されているのがよく分かります。赤い石州瓦が美しいです。
    この機関誌を紹介するのにはわけがあります。9月中旬に山吹城跡を訪れたのですが、ガイドの方曰く、この時期はクマとスズメバチが出るから要害山は登れないとのことでした。さすが、自然と隣り合わせのまち。1~3月の登山が望ましいとのことです。
    要害山を登って山吹城跡を目指す際は、石見銀山ガイドの会の方々にぜひ相談してみてください。詳しいお話を聞きながら登山を楽しめます。

     

     

     

    山吹城跡はその名のとおり、城の跡なので、城自体は残っていません。城の基礎である石垣が今に城の様子を伝えています。
    銀山町にある登山口からだと、整えられた道を歩くこと約30分で登頂できるようです。お手軽な登山ですが、途中に600段ほどの階段が続くので
    あきらめない根性が試されます。季節を見て、ガイドの会の方に相談したうえでぜひ、挑んでみてください。

     

     


    所在地 : 島根県大田市大森町

     

     

     

    中国地方の覇者となった毛利元就ゆかりの大田市豊栄神社に詣でる

     

     

     

     

     

    05_otashi

     

     

     


    JR大田市駅よりバスで約30分、大森下車、約15分歩いたところに豊栄神社はあります。
    豊栄神社(とよさかじんじゃ)は中国地方を制した戦国武将、毛利元就を祀る神社です。
    もともとは1867年までは洞春山長安寺という曹洞宗(禅宗のひとつ)の寺でした。洞春とは元就の号です。
    1571年に山吹城内に元就自身が自分の木像を安置し、翌年に銀山を掌握しました。
    洞春山長安寺に木像を映したのは元就の孫である輝元だと伝えられています。
    柔らかな緑に包まれた境内は清らな雰囲気で、浄化されるような心地でした。

     


    06_otashi

     

     


    なぜ寺が神社になったのでしょうか。ここにも歴史的な出来事が深く関係しています。
    関ケ原の戦いの後、西軍にいた毛利氏は徳川に銀山をあけわたすこととなります。
    毛利氏自体も九州に移封されたことで、幕末には寺は荒廃してしまいました。
    そんななか1866年、幕末に起こった第二次長州戦争で長州軍は石見銀山のある大森に進駐します。
    その際、長州軍の隊士たちはこの洞春山長安寺を訪れます。隊士たちは藩祖である毛利元就が祀られていたことにいたく感激し、神社として拝殿をはじめとして鳥居に至るまでを建立、さらに石燈籠や狛犬、手水鉢なども寄進しました。
    神社に作り変えられたのは廃仏毀釈の影響だと考えられます。

     

     

    07_otashi

     

     


    08_otashi

     

     


    石燈籠には隊士たちの名が刻まれています。
    時代をこえた毛利元就の影響力をよくあらわした歴史的スポットです。

     

     

     


    所在地 : 大田市大森町

     

     

     

     

    毛利氏石見銀山支配の要!毛利水軍の拠点 大田市鵜丸城跡を目指す

     

     

     

    大田市温泉津町は石見銀山の銀が輸出された港、沖泊(おきどまり)と湧き出る温泉によって発展してきたまちです。
    その温泉街は重要伝統的建造物保存地区に指定されています。
    そこから少し外れた港に突き出した岬に毛利水軍の拠点、鵜丸城跡(うのまるじょうあと)はあります。

     


    〈09_odashi温泉津重伝建町並み〉

     

     

     

    〈10_odashi温泉津重伝建町並み〉

     


    温泉街から鵜丸城跡を目指して散歩に出かけてみましょう。
    朝の温泉津温泉街では澄んだ空気と鳥たちのさえずりが、レトロな明治の町並みと共に味わえます。
    温泉街を港方向にてくてく歩くとすぐに海がみえてきます。

     

     

     

     


    〈11_odashi温泉津重伝建町並み〉

     


    観光案内所ゆうゆう館の前からの景色です。

     

     


    〈12_odashi温泉津重伝建町並み〉

     

     

     

    鵜丸城跡までは港沿いを道なりに20分ほど歩きます。
    道中、井上鉄工所の猫たちがお出迎えしてくれました。猫雑誌の取材を受けたこともある、人懐っこい猫たちです。

     

     

    〈13_odashi温泉津重伝建町並み〉

     

     

     


    〈14_odashi温泉津重伝建町並み〉

     

     


    〈15_odashi温泉津重伝建町並み〉

     

     


    海と山がおりなす美しい景色を眺めながら鵜丸城跡を目指します。

     

     

     

     

    〈16_odashi港〉

     

     

    奥に見えるのが鵜丸城跡のある山です。

     

     

     


    〈17_odashi港〉

     


    道なりにぐるっとまわりこみます。

     

     

     


    〈18_odashi鵜丸城跡〉

     

     


    〈19_odashi鵜丸城跡〉

     

     


    入り口になります。ここから上までひたすら階段が続きますが、15分ほどしかかからないので安心です。

     

     


    〈20_odashi鵜丸城跡〉

     

     

     


    〈21_odashi鵜丸城跡〉

     

     

     


    これより先は林に囲まれた平坦は道が続きます。

    地元の方にうかがったところ、山吹城跡と同じで9月はクマが出るとのことでこれ以上進むことはあきらめました。
    11月~3月には海を見渡す素晴らしい景色がのぞめます!ぜひ、安全な冬にチャレンジしてみてください。

     

     

     

    鵜丸城跡がこの見晴らしの良い岬に築城されたのは、温泉津の防衛体制を急遽強化する必要に迫られたからです。
    一度滅びたはずの尼子氏が海路で出雲国に大挙侵入、尼子勝久らが尼子復興戦をはじめたのです。1569年のことでした。
    そこで毛利氏は近隣諸村に役を割り当て、1か月という驚異のスピードで鵜丸城を完成させました。
    残る東側の郭には銃陣を敷くためのにつくられた帯郭の跡がみられます。
    当時の最先端兵器であった鉄砲に対応した水軍城だったということです。

     

     


    所在地 : 大田市温泉津町温泉津

     

     

     

     

    石見銀山を得たことで中国地方の覇者となった毛利元就。
    元就は銀で得た富を軍事費と天皇を味方に付けるためにつかいました。
    「もし石見銀山に異変があれば、毛利家は戦ができず無力になる」
    元就の孫、毛利氏最後の銀山の支配者、毛利輝元が残した言葉です。
    毛利氏繁栄の歴史と銀山をめぐる戦いの跡、いかがだったでしょうか。
    美しい景色とともに歴史ロマンに浸ってみませんか。