古代から現在へそしてこれからも続く歴史を体感する太宰府の歴史旅
現在、太宰府天満宮の参拝客で賑わう福岡県太宰府市ですが、その歴史は古く飛鳥奈良時代にまでさかのぼります。
この地は西国九州統治、そして中国・朝鮮との外交の要として発展し、大宰府政庁廃止の後は太宰府天満宮の門前町として発展してきました。
そんな悠久の歴史を巡る旅に出かけます。
この記事の目次
中国・朝鮮半島への玄関口 「西の都」大宰府政庁の跡地へ足を運ぶ
観光バスまほろば号に乗り、「大宰府政庁跡」(だざいふせいちょうあと)で降りると青々とした草原が広がっています。
律令制時代九州の拠点であったこの大宰府政庁の跡地にはマンション建設の話が持ち上がりましたが、学者や行政が土地所有者を説得し残したのだそうです。
その後発掘調査が始まり、現在ではその柱跡を見ることができます。
663年白村江の戦い以降、大宰府は国防・外交の要所となっており、遣唐使をはじめ大陸に渡る人々を送り出してきました。
当時アジアにおける文化の最先端は大国唐の文化。
日本ではその唐にならい律令制の導入が進みます。
大宝律令の制定などにより官僚制の整備が進む中、平城京遷都後に大宰府政庁を設置したとされています。
その重要性から大宰府の地は「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれており、大伴旅人・菅原道真など多くの官僚がこの地に赴任してきました。
その跡地に立っていると1300年の重みが伝わってくるようで、改めてこの史跡が遺されたことの意味を考えさせられます。
また、大宰府政庁跡の横にあるこの太宰府展示館では1968年から始まった発掘調査の出土品等を見ることができます。
こちらにもぜひ足を運んでみてください。
ところで、太宰府市を訪れると「だざいふ」の表記に二通りあることに気づきます。
太宰府市ではここで紹介した大宰府政庁に関連する歴史的役所としては「大宰府」、現在の行政区画に関しては「太宰府」と使い分けています。
この記事では太宰府市の区別に従って表現させていただきました。
表記に至るまで歴史に溢れているなんて、その長い時間に感動してしまいます。
大宰府政庁跡 所在地 : 福岡県太宰府市観世音寺4丁目6-1
http://www.dazaifu.org/map/tanbo/tourismmap/7.html
学問の神様菅原道真の眠る地へ 太宰府天満宮とその歴史をたどる
続いて現在太宰府市のランドマークとなっている「太宰府天満宮」(だざいふてんまんぐう)に足を運びました。
まほろば号を「西鉄太宰府駅」で降り、約5分ほど歩くと一つ目の鳥居に着きます。
宇多天皇に重用され右大臣にまでなった菅原道真ですが、藤原氏との政権争いに破れ大宰府政庁へ権帥として左遷されることとなりました。
2年後に道真は亡くなりましたが、「自らの罪の疑いが晴れるまでは京に帰ることはできない」という彼の遺言により大宰府の地に埋葬されます。
道真の死後、都では雷が帝の御所に落ちたり疫病が蔓延したため、道真の祟りとして恐れられ鎮めの意味を込めてこの太宰府天満宮がつくられました。
一つ目の鳥居を抜けると目の前に立派な門が現れます。
昔は神仏習合のため天満宮の管理は菅原氏の氏寺である安楽寺が担っていました。
明治時代に安楽寺はなくなりましたが、この門とその宿坊跡は残されています。
また、ここは江戸末期から明治初期の貴族である三条実美縁のお寺でもあります。
その宿坊は明治維新の際、三条実美ら五卿をはじめとした勤皇志士たちの密会所ともなっていました。
明治期の志士たちもこの地を歩いていたなんてなんだか不思議ですね。
太宰府天満宮が全国の人々の中に根差していたことを改めて感じました。
現在では菅原道真は学問の神様として信仰され、親しまれています。
太宰府天満宮 所在地 : 福岡県太宰府市宰府4丁目7-1
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/
明治期勤皇志士たちの隠れ家であった太宰府天満宮の門前町を行く
最後に太宰府天満宮の参道を歩きました。
西鉄太宰府駅を出て右に向かうと太宰府天満宮まで通じる参道がまっすぐ伸びています。
参道には名物梅ヶ枝餅(うめがえもち)の売店や食事処、土産物屋が並んでおり、参拝客で賑わっています。
以前はこの参道の左右に天満宮に奉公する人々である社家の家や、各藩の定宿が立ち並んでいたそうです。
現在でもその建物を見ることができるのがこちら、太宰府天満宮に向かって右の西鉄太宰府駅側四軒が定宿跡の建物です。
手前から二軒目の松屋は薩摩藩の定宿であり、明治維新期には勤皇志士たちが太宰府天満宮参拝を装って滞在していました。
西郷隆盛も宿泊しており、西郷を訪ねて坂本龍馬などの志士たちが訪れています。
一般公開はしていないのですが、そうした勤皇志士縁の品々などが松屋の二階にはあるそうです。
松屋の喫茶「維新の庵」では喫茶店利用の人にその奥庭を公開しています。
洋風の噴水と和風の祠などが日本とも異国ともつかない雰囲気を作っていて、明治期にタイムスリップしたような感覚を味わえました。
幕末の人々の足跡を辿るのも一つではないでしょうか。
松屋 所在地 : 太宰府市宰府2-6-12
1300年にわたる歴史を持つ太宰府のまちは歩くと史跡にぶつかる、といっても過言ではないほどあちらこちらに歴史的な場所が盛りだくさん。
大宰府政庁跡の前にあるお茶屋さんで出会った男性は「このまちにはロマンがある」と語ってくださいました。
そんなロマンあふれる太宰府の歴史旅をしませんか?