伝統工芸士から教わる!丸亀うちわの制作体験!丸亀城で丸亀を堪能
涼しい風、夏の風物詩といえば「うちわ」ではないでしょうか。何気なく仰いでいるうちわにも実は壮大な歴史があることをご存知でしょうか。約400年前から現代でも愛され続けている香川県の伝統工芸品、丸亀うちわの歴史に迫ります。
この記事の目次
丸亀うちわはどうやって生まれて発展したのか?団扇としての歴史とは
約400年前。
時は慶長5年、豊臣方西軍石田光成率いる軍勢約10万、対する徳川方東軍、徳川家康率いる軍勢約7万が斬った斬られたの大合戦。関ヶ原の戦いの時代に「うちわ」は、とある旅僧から広まったとされています。
旅僧が九州の一宿のお礼に、うちわの製法を伝授したのが元となる熊本来民うちわの始まりと言われているのです。
つまり、丸亀うちわ自体は、江戸時代初期までに確立していたと考えられており大変深い歴史をもつものなのですね。
伝統工芸士からの直伝!うちわ工房で丸亀うちわの体験をしてみよう
それでは早速丸亀うちわを作りましょう。しかし作るといっても恐れ多い400年の歴史的伝統工芸品。
調べると、丸亀うちわを実際に作ることができるスポットが2つありました。
香川県丸亀市にあるうちわミュージアム、もしくは丸亀城の中にある「うちわ工房竹」のどちらかです。
今回は、丸亀城の観光と一緒に体験を予定していたので、丸亀城内にある「うちわ工房 竹」様にて竹から1枚の団扇完成まで体験させて頂きました。
伝統工芸士の方が実際に教えてくださります。なんとも恐れ多いですね。
まず等分に切られてある竹を工具で裂き骨を作ります。
まず職人の方が綺麗に手本を見せて頂きました。
私も見習い、個性豊かで細い太い様々な骨を産みだしました。私の苦笑いを余所に、工程は次の骨を整える作業に行きます。
裂いただけでは、ただの裂いた竹です。折れないようにしならせながらにゅっと曲げて、裂いた竹を広げます。
曲げた骨にひもを複雑に通して固定。ようやく骨組みの完成です。
次は骨に帆を張ります。沢山の紙の中から1枚選りすぐらせて頂き、刷毛で糊を塗り慎重に貼ります。
不揃いの骨でも、貼ってしまえばこっちのものです。
これでようやく工程は折り返しです。四角い団扇を丸く形造ります。
幾つもの傷がある年季の入った切り株に紙を置き、型となる工具を打ち付けます。
丸い丸亀うちわが姿を現しました。淵に細い和紙を張り付け、しばらく感想させて完成です。
乾燥させる間、丸亀城の散策にでかけました。
自分で作成した、うちわで仰ぐ風はとても優しく柔らかく、特別なものでした。
伝統工芸士さんから教わる!丸亀うちわ最盛期とは?うちわ作りの歴史
体験をさせて頂きながら、職人の方々からお話しを沢山伺いました。
職人の方々のお爺さんの時代などは家族全員で丸亀うちわを作っていたとの事です。
詳しく聞くと、この丸亀の町では学生なら学校が終われば丸亀うちわを作り、主婦なら家事を終わらせ丸亀うちわを作っていたのだとか。
うちわ作りは家族で役割分担しながらの作業だったようです。
そうして大量の団扇を全国に届けていました。
大量生産ができる大型工場も無い時代。
町をあげた一大事業でした。しかし、現代の廉価な大量生産にとって代わられてしまいます。それでもなお、その伝統は形をそのままに歴史と製法を残し様々な形として昇華されています。
400年の歴史を紡いできた丸亀うちわの今とは
香川県琴平にある金比羅宮。
境内までの道中には数多くの出店が並びます。中をのぞけば天狗の羽団扇にちなむ朱色に丸金印の渋うちわが並んでいます。
海外旅行者の片手にはその赤く丸い団扇が握られ、暑い日差しを和らげていました。
その土地に根づく歴史の深みが反映された丸く特徴的な形や独特な質感。そして長く愛用され、完成された機能美。
便利で無駄のない技術は国内外で高い評価を得ています。更に、現代ではアートの観点から伝統工芸品の価値が見直されています。
今、丸亀うちわも新たな歴史を歩み続けているのです。
さて、丸亀うちわの歴史や体験はいかがでしたでしょうか。
なにげない団扇にも大きな歴史が隠されていると知れば、仰ぐ風も厳かになります。
香川県にうどんを食べにくる際に、ぜひ丸亀城によって、丸亀うちわを体験されてみてはいかがでしょうか。