HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

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京都『霊山護国神社』周辺で坂本龍馬と中岡慎太郎ら幕末の志士のお墓を参拝

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    大政奉還が行われた二条城をはじめ、京都には維新の軌跡が数多く残されています。
    今回はショッピングや観光の人々でにぎわう河原町から東山にかけて点在する維新スポットを巡ります。
    京都に眠る維新志士たちの心を感じましょう。

     

    坂本龍馬が暗殺された近江屋事件 河原町にある近江屋跡で事件を辿る

     

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    1867年10月14日、徳川慶喜は朝廷に政権を返上しました。その約1ヶ月後、京都の近江屋で、坂本龍馬は暗殺されます。近江屋は阪急河原町駅から徒歩約10分、現在の中京区河原町蛸薬師にありました。
    「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」と書かれた石碑が立っています。

     

    龍馬が結成した海援隊の本部は、石碑が建っている場所から北へ約400m歩いたところの酢屋に置かれていました。
    龍馬はもともと酢屋で身を隠していましたが、前年に起きた寺田屋事件によって幕府から狙われていたため一度関西を離れて鹿児島へと逃れます。
    そして再び関西へと戻る際に、幕府に見つからないようにと土佐藩御用達の醤油商「近江屋」へと移ったのです。

     

    暗殺された当日、龍馬は風邪気味だったため母屋の二階で過ごしていました。同志である中岡慎太郎が訪ねてきたため、龍馬は火鉢を挟み向かい合って話し合っていたそうです。刺客の京都見廻組隊士は客を装って近づき、龍馬と慎太郎を斬りつけました。

     

    部屋は天井が斜めに傾いている勾配天井で、通常より天井が低かったことから、脇差をもって襲撃したと考えられます。

     

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    河原町通りのちょうど頭上あたりで、この近江屋事件は起こったのです。
    京都市内でも活気ある繁華街の河原町で、維新の歴史が動いたと思うと見えてくる景色も変わりますよ。

     

    二年坂から続く龍馬坂を登って維新志士が葬られた霊名神社へ

     

    東山にある二年坂から霊明神社に向かう道は「龍馬坂」と呼ばれています。
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    1867年11月18日、河原町の近江屋で刺客に襲われ命を落とした、坂本龍馬・中岡慎太郎・山田藤吉の葬儀が執り行われました。
    3人の遺体は霊明神社の境内で葬られることになり、龍馬坂を通って霊明神社へと運ばれたのです。

     

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    大勢の人たちが3人を見送った龍馬坂。いまは静かな石畳みの道となっています。
    龍馬坂を登っていると、京都市街が見え、当時から建つ「八坂の塔」も拝めます。
    幕末志士たちのことを思い返しながら、龍馬坂の階段をゆっくりと登り霊明神社に参拝しましょう。

     

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    龍馬坂を登りきると、大きな鳥居が見えてきます。
    霊明神社は1862年に京都で亡くなった長州藩の志士を埋葬したことにはじまり、江戸時代より志士を葬る聖地とされてきました。

     

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    多くの幕末志士が維新への道を切り開かなかったら、いまの日本はありません。
    感謝と追悼の意を込めて手を合わせました。

     

    明治天皇が建立した京都霊山護国神社で坂本龍馬の墓参り

     

    霊名神社から北へすこし行くと、京都霊山護国神社があります。明治天皇が「維新のため、国のために命を捧げた志士の魂をお祀りしよう」と建立された社です。本殿でお参りをした後は、志士たちが眠る墓へと参りましょう。階段や坂道を登っていくので、動きやすい服装がいいですよ。

     

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    まず見つけたのが坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像です。龍馬の立ち姿に、慎太郎の膝を立てる姿、どちらも力強さを感じます。
    近くには龍馬と慎太郎の墓があります。
    「刀はもう時代遅れだ。これからは、ピストルで戦うのだ。」
    「これからは武術で戦うのではなく、学問で戦うべきだ。」
    と常に一歩先の考えを持っていた龍馬。
    対立抗争を繰り返していた幕末には「日本は今こそひとつにならなければいけない」と新しい時代を構想していました。
    その立派な志に感服します。

     

     

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    さらに登りつめると「維新の三傑」桂小五郎の墓へとたどり着きます。容姿端麗で神道無念流の達人であった桂小五郎。理性もあり、流血に縁遠く、一生人を斬ったことがないと言われています。

     

    京都には島原や祇園などの多くの遊里があり、志士たちと芸妓たちとの間で多くの恋が生まれました。代表的なのが桂小五郎と幾松です。幾松が幕吏に追われていた小五郎をかくまったのがきっかけで、2人の恋が芽生え夫婦となりました。
    志士の維新への貢献に加えて、人間的な部分も知ると、親近感がわきますね。
    霊山護国神社の最高峰から拝める京都の景観も、ぜひお楽しみください。

     

    公式HP : 京都霊山護国神社

     

     

    維新の道を歩いて円山公園へ 知られざる維新スポットをご紹介

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    維新志士のお参りを終えたら、維新の道を歩いて円山公園を目指しましょう。
    京都霊山護国神社から円山公園まで徒歩約15分ほどです。

    維新の道は霊山顕彰会が維新変革の原点と現代を結ぶ精神の道として整備した道。
    維新の道の整備は、日本を代表する実業家、松下幸之助が「明治維新のような転換期を迎えるときには、維新志士たちのような心意気をもって挑まなければならない」という考えのもと、霊山顕彰会初代会長を務めたときに行った取り組みだとか。そのため維新の道に建つ石碑の字は幸之助の字となっています。

    幸之助の考えの通り、来るべき未来に立ち向かっていくためにも、歴史を学び、維新志士たちの心を知ることは大切だと思いました。

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    円山公園には坂本龍馬と中岡慎太郎の大きな銅像が立っています。
    龍馬が立ち、慎太郎が膝を立てて座っているのには理由があるんです。
    龍馬は身長が高かったのではとされている一方で、慎太郎はかなり小柄でした。
    慎太郎の背の低さを目立たなくするために、このようなポーズになっているそうですよ。

    何気なく歩いている道や、公園に立っている像も、その背景や歴史を知ればちょっと立ち止まって考えてしまいます。
    ぜひ京都散策の際には、辺りを見渡しながら歴史の跡を探してみてくださいね。”

     

    観光名所や町並みを楽しむのも京都の醍醐味ですが、維新という切り口で京都を歩くと、また違った京の歴史の深さを感じました。
    歴史好きの方でなくても、日本の大転機となった維新の歴史から多くを学べると思います。
    次の京都旅行のテーマは「維新の軌跡をたどる」というのはいかがでしょうか。

     

     

     

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