香川県丸亀城観光が10倍面白くなる!丸亀城の歴史や秘密を徹底解説
丸亀城は、本丸、二の丸、三の丸、山下曲輪があります。丸亀城は、「石の城」とも称されるほどに石垣の名城としても全国的に有名です。
さらに3層3階の現存木造天守。国内で最も古く、1660年に完成され江戸時代から現存する日本いち小さな木造天守でもあります。
石垣好きにたまらない!そんな丸亀城の歴史度をご紹介します!
この記事の目次
木で隠された歴史を持っていた!?意外と知られていない丸亀城の歴史
丸亀城は、高松城の支城として建てられました。
その歴史は、1587(天正15)年に生駒親正(いこまちかまさ)が豊臣秀吉より讃岐国に封じられたことから始まります。
讃岐国に封じられた生駒親正(いこまちかまさ)が高松城の支城として1597(慶長2)年に築城したのが丸亀城です。
しかし、徳川幕府が1615(元和元)年に公布した一国一城令、により丸亀城は廃城となることに取り決められてしまいました。
当時の領主である生駒正俊(いこままさとし)は、丸亀城をこのまま廃城にしてしまうことに納得せず、破棄せず樹木を植えることで隠し通そうとしました。
樹木を植えることで隠そうとする発想が面白いですね。
しかし、この計画は失敗に終わってしまい、完全に丸亀城のあった場所は城跡となってしまいます。
一国一城令で廃城になった丸亀城が復活した理由とは?
さて、一国一城令で廃城となってしまった丸亀城。
どのように再生することに成功したのでしょうか。
1637年12月11日に島原・天草の乱がおこりました。
天草四郎を中心とした国内のキリシタンによるこの反乱は、わずか3ヶ月で平定されます。
これによって、幕府は、国内のキリシタンによる反乱だけでなく、外国勢が加わった戦が起きる可能性があるかもしれないと幕府が警戒を強めることになります。
そこで、外国船を見張り、攻撃をしかけるのであれば、もってこいの場所は関門海峡を抜けた先で瀬戸内海で一番狭い海域となっているこの丸亀だと判断され、要港とされました。
ちょうど廃城となっていた丸亀城を復活させる判断を幕府が下すのです。
ちょうどそのころ、お家騒動を起こしていた生駒氏から城の修復が得意な山崎家治(やまざきいえはる)へと領主が変えられました。
家治は1643(寛永20)年にかつての城跡に新たに丸亀城を再築します。 1658(万治元)年には京極高和(きょうごくたかかず)が城主になり、その2年後に天守を完成させました。 以後明治まで京極氏が城主となります。
熊本城にも負けない!丸亀城の石垣の傾斜と職人の技
丸亀城は別名「石の城」ともいわれています。
実際に訪れるとその意味がよくわかります。
二の丸の石垣は「扇の勾配」とも呼ばれ、扇の開いたかたちのような緩やかな曲線を描いているのが特徴的です。
熊本城にも同様の石垣の勾配がありますね。
ちなみに、輪郭式の平山城をなし、大手門から本丸へ辿り着くには螺旋状に城の周囲を2周回らなければならないという構造になっているのも、この城の特徴です。
丸亀城は大阪城とも深い関わりのあるポイントがあります。
それは、その石垣。
大阪夏の陣、冬の陣によってぼろぼろになった大阪城を、1620年(元和6年)から1629年(寛永6年)にかけて徳川秀忠が修築を施しました。
その後1645年、大阪城の修復の際に余った石垣で丸亀城が修復されたのだとか。
石の城、丸亀城の石垣伝説や秘密をボランティアガイドさんが徹底解説
丸亀城を観光している際に、ボランティアガイドの方に声をかけていただき、丸亀城の石垣を案内していただきました。
職人さんたちの遊び心を見て回ります。
これは、石という文字をそのままに埋め込まれています。
こちらの、十字は、岡山県にある津山城の森家のマーク。
さらに田のマークは細川家の印。
よくよくみてみると、たくさんの刻印があります!ぜひ探してみてくださいね。
丸亀城の歴史や秘密をご紹介してきました。
石の城とも称される丸亀城の美しさは圧巻です。さらに夜は丸亀市内にあるドン・キホーテ周辺からの城のライトアップがおすすめです。
丸亀城には、城のスペシャリストが常駐しています。ぜひボランティアガイドさんたちのお話も楽しみながら丸亀城を訪れてくださいね。