五箇山で楽しむ大地が生んだ美味しいご当地グルメ「五箇山堅豆腐」
富山県南砺市の秘境と言っても過言ではない場所にある世界遺産五箇山。都会、田舎関係なく生活に欠かせないものは、食ですよね。五箇山では「五箇山豆腐」が有名です。
五箇山などの山岳地域では、古来中国から伝わった当時の姿に近い「堅豆腐」 が伝統製法として変わらず作り続けられています。そんな五箇山豆腐の魅力に迫ります!
日本の壁豆腐の原型、五箇山の食文化の代表「堅豆腐」とは
JR城端線の城端駅から世界遺産バスに乗り換え約25分。岐阜県の白川郷と共に世界遺産に登録された南砺市(なんとし)五箇山(ごかやま)の集落に到着しました。山深く、バスを降りた瞬間に深い山の空気が肺いっぱいにひろがる感覚がとても心地よく感じました。
今回の旅のお目当ては、合掌造りはもちろん、五箇山の食文化の代表である「五箇山堅豆腐」です。「堅豆腐」とは、その名の通り荒縄で縛ってもくずれない程に堅い豆腐のことをいいます。
日本の豆腐の原型はみんなこの堅豆腐ということをご存知でしょうか。実は奈良時代、中国より伝えられた豆腐は元々、堅豆腐でした。その後、日本で工夫を重ね水分をたくさん含んだ柔らかい木綿豆腐や絹ごし豆腐などの豆腐となりましたが、ここ五箇山では豆腐本来の姿がそのまま現代まで続いているそうです。
ここでひとつ疑問が生まれます。なぜこんなにも山深い地域に中国から伝えられた都の文化が伝わったのか!
平家落人が都文化を伝えた?「五箇山堅豆腐」の秘密に迫る
五箇山での都の文化の発展の謎には、山深い五箇山に伝わる「平家伝説」を謡った民謡の麦屋節(むぎやぶし)の一節にありました。
「浪の屋島を遠くのがれきて、薪樵(たきぎか)るちょう深山辺(みやまべ)に。
烏帽子狩衣(えぼしかりぎぬ)脱ぎうちすてて、いまは越路の杣屋(そまや)かな…」
平家の落人が、刀から鍬や鎌に持ちかえて麦を刈る時に歌ったものとも伝えられています。平家は、倶利伽羅峠(くりからとうげのたたかい)の合戦で木曽義仲軍に敗れた平家の落人たちが、安住の地を求め、五箇山の地に入り住みついたと伝えられています。こうした平家が都の文化を五箇山で広げたのでしょうか。謎は深まります。
ちなみに、街道も通り、最新の都の文化は五箇山にも入ってきていたはず。それでもなお、水分を含んだ柔らかい豆腐ではなく、堅豆腐を作り続けた理由はどこにあったのでしょうか。山深い豪雪地帯の五箇山では、水分量の少ない堅いしっかりとした、堅豆腐は持ち運ぶのに荒縄で縛って運んでいたことが理由だそうです。交通が不便な山間地でも日持ちが良い堅豆腐は、貴重なタンパク源として利用されていました。
そのために、いまでも堅豆腐が作られているのですね。五箇山堅豆腐の知識を付けたところで、さっそくお豆腐が食べられるお食事処を訪れてみましょう!
五箇山生まれの食を心ゆくまで堪能する「お食事・お休み処まつや」
まずは相倉集落にある「お食事・お休み処まつや」さんを訪れました。年に4回メニューが変わり、季節ごとに旬の食材を味わうことができる人気店です。夏に訪れたのですが、人気の「まつや定食」では、そばやみょうが、山菜、地元野菜など五箇山名物を一度に食べることができました。お米ももちろん地元産です。とても贅沢です!
今回の旅のお目当て、五箇山豆腐。大豆は地元富山県南砺地方の厳しい自然の中で育まれた大豆(エンレイ)を使用されています。
箸で持ってもまったく崩れないほど硬く、しっかりとした大豆本来の味が楽しむことができました。
ちなみに、堅豆腐は煮くずれしにくく、「ホンコサマ」と呼ばれる、親鸞聖人をしのんで催される仏事「報恩講」などの法要や祭りの料理には、今も欠かせないものとなっているそうです。
「報恩講」では、親戚や近所の人々が集まり、お坊さんの読経を聞いたあと精進料理を食べ、一年の無事を喜びあいます。収穫祭でもあり、それぞれの家でとれた新米や野菜、山菜を使い朱塗りの御膳に用意するそうですよ。
当時から「晴れの日」には家庭で必ず食卓に並べられた五箇山堅豆腐、おめでたい席の料理には堅豆腐を使った煮物は欠かせませんね。
いかがでしたか。古来からの歴史を知るとより一層食事が楽しくなりますね。五箇山堅豆腐を現在に受け継いだ伝統の技と素朴な味を味わいにぜひ五箇山へ訪れてみてください。
春は特に山菜などが多いそうですので、グルメを堪能したい方は春もおすすめです。