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【漆喰で覆われた江戸城】石灰の産地・成木と青梅街道の歴史

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    白く美しい姫路城。その外観は白鷺城ともいわれ、その美しさは謳われてきました。
    いまは現存しませんが、江戸城ももともとは漆喰に覆われた真っ白なお城だったそうです。
    そんな漆喰の歴史と江戸城の関連を追って、歴史旅に出かけてみましょう!

     

     

     

    江戸の町と漆喰

     

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    お城やその城下町を歩いていると必ずといっていいほど目に入ってくる白い壁。これは漆喰といって、小学校などの運動場にまいた石灰と同じです。石灰を水などに溶かし固めたものを漆喰といいます。

     

     
    漆喰の特徴は、その強さにあります。自然の作用で100年以上固まり続け石に戻るのです。耐久性に優れたそれは、多くの建築物にひきいられました。

     

     

     

    漆喰が用いられた最古の建造物だと考えられているのが、今から約5,000年前に建てられたピラミッドなのだとか!その後、シルクロードを経由し漆喰の加工技術は中国に、そして日本に伝わりました。

     

     

     

    日本での漆喰塗りの歴史は1300年前まで遡ります。姫路城など真っ白な漆喰が塗られたお城が有名ですが、建築材料として使用されたのは古墳や、平安時代初期の神社仏閣建築からと言われています。

     

     
    漆喰は優れた耐久性と防火性が認められ、城郭や蔵の建築にひきいられています。

     

     

     

    建物の一部にしか使用されていなかった漆喰ですが、江戸城の天守閣にも使用されることになります。
    それを見た城下町に住む民たちもこぞって漆喰を引きいるようになります。防火性と耐久の長所を生かして裕福な商人屋敷の土蔵や神社仏閣にも使用されるようになったのです。

     

     

     

     

    石灰の産地である成木

     

     

     

     
    成木地区は江戸時代より前から、石灰岩を焼いて石灰を生産していました。広く世に知られるようになったのは、1606年のこと。
    江戸城では大規模な修改築を行っていました。

     

     

     
    築城の際の最後の化粧仕上げに、風雨に強く、崩れにくい耐久性に優れたうえ、美しい漆喰塗りにするため、大量の漆喰が必要だったのです。

     

     

     
    産出地に困っていた幕府は、成木に産出地があることを知ります。幕府は成木地区かわ石灰を産出することを命じます。

     

     

     

    江戸で大量に漆喰が使用された背景には、このように成木で多くの石灰が採れたことにあったのですね。

     

     

     

    青梅街道の歴史

     

     

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    青梅は、成木石灰の集積地、青梅夜具地の生産地として歴史を残してきました。

     

     

     

    成木で産出し、運び出された原石は、窯の上にピラミッド状に積み上げられ、900度以上の高温で1週間前後焼かれた後、消石灰にされました。消石灰のような粉状にしてもその運搬は一苦労。

     

     

     
    青梅市の成木から江戸に石灰を運ぶために、成木から江戸に一直線に新しく道が整備されました。
    整備された青梅街道は、新宿から青梅を経て甲斐の石和で甲州街道と合流する街道となっています。なんと甲州裏街道とも呼ばれているのだとか。

     

     

     

     

    青梅街道は、石灰を運ぶ街道としても、さらに青梅の先の御嶽神社への参拝路としても賑わいました。
    現在の青梅街道は、昭和をテーマにレトロな街づくりを進められており、街道沿いにレトロな外観の店を見つけることができますよ!

     

     

     
    いかがでしたか。一見江戸城とは関係のないように見える青梅市も実は深い歴史があり、関連のあるスポットだったのですね。
    青梅街道は現在昭和のまちなみが残りますが、ぜひ江戸時代の石灰が運ばれていった様子を想像しながら歩いてみてはいかがでしょうか。